教職調整額について、文科省案に対して財務省案が示されたことは、以前にも述べた。これから、この二つの案の中で、予算折衝が行われるのだろう。二つの案にはかなり隔たりがあり、どのようなところで決着するのか見えない。熾烈な暗闘があるのだろうが、文科省と財務省との力関係がわかる一つの材料になるだろう。行政学を専門とする研究者にとっては、格好の研究材料だろう。
というような、暢気なことは言っていられない。両方の案には、致命的な欠点があるからだ。それは、残業という労働に対して正当な対価を支払わないということである。教員には、労働基準法に示される残業が適応されないために、その代わりに給特法が定められているわけであるが、20世紀初頭に基本的人権の自然権や生存権に加え、社会権という考えが加えられ、労働についても、1日8時間(現在は7時間45分)など、より文化的で人間らしい生活を行う権利が認められるようになった。ところが、給特法による「定額働かせ放題」により、教員の文化的で人間らしい生活が奪われ、教員の離職、休職、人材不足が深刻になっているのだ。確かに、「定額働かせ放題」のもと、教員の働き方はタイムマネジメントに欠けている部分があった。しかし、この間、文科省の教員の働き方の仕分けから、以前よりは3割ほど残業時間が減っているのだ。それでも、小学校で月41時間、中学校では月58時間の残業時間が2022年度に推計されている。ここから、残業時間を減らすには、これまで以上に教員の業務を根本的に減らすしかない。そのためには、かなりの人材を教育現場に投入するしかない。例えば、事務作業をサポートする人材、教育相談に応じるスクールカウンセラー、様々なトラブルに助言・対応できるスクールロイヤー、教育と福祉を繋げるスクールソーシャルワーカーである。さらに、中学校では、部活動指導を教員から切り離さなければ、根本的な解決には至らない。
財務省の案は、「教員が残業時間の時短をすれば、教職調整額をあげてやる」ということである。この考えには、本当に腹が立つ。こんなことを言う前提には、「教員は無駄な働き方をしている。残業時間を減らそうと思えば、もっと減らせるだろう。まず、無駄な働きをやめなさい」という考えがある。無駄な働き方をしている教員が、心の病気で休職するかと言うのか。早く家に帰りたくても子どものために、そして明日の授業のために、学校を動かすために、やらなければならない仕事をやっているのだ。正当な仕事なのだ。このことを財務省は、まるで考えていない。もし、財務省の言うように、将来的に給特法を廃止して残業代を支給するというのなら、そして多額の残業代を支払いたくないというのなら、前述したような人材を学校現場に投入しなければならない。そのための予算措置をすることが、政府の役目である。この予算措置を行うことが、第一に財務省の行うことだ。このことに一切言及せずに、単に「残業時間を減らせ、減らせ」というのは、教育の質の低下を招き、教育現場の崩壊をもたらす。財務省案は、絶対に認められない。
文科省の「調整額13%アップ」に賛同する教員もいるようだが、財務省が指摘しているように、13%は「月時間26時間程度の残業時間に相当する」というものだ。文科省は、中教審の議論で「教員の仕事は何が残業で何が残業でないか」と把握が難しいと言う。だが、そんなことは無い。以前のブログにも書いたように、教員の仕事に関して職業安定所は、幅広く「自主研修」を考えている。教材作成はもちろん、教材研究も仕事の範囲なのだ。つまり、学校に関わること、教育に関わることに携わる仕事は、全て業務なのである。残業に関するマネジメントも十分にできるのだ。今まで、このようなマネジメントを管理職が行ったことがないだけで、文科省や各自治体の教育委員会がガイドラインを出せば、すぐに実施できるだろう。民間の管理職は、どこでもやっていることなのだから。
以上を踏まえると、文科省案でも財務省案でもないのは、次のようになる。
①すぐさま、給特法を廃止し、教員に残業手当を支給すること
②学校現場に様々な人材の投入、部活動の地域移行化を推進するための財政的措置を行うこと。
③その上で、もう一度「学校の業務に関する仕分け」を行うこと
だろう。この仕分けについては、保護者・地域の理解は、必須だ。今まで、学校が担ってきた業務も、実は学校が担わなくてもよいものもある。その業務を一方的に止めてしまえば、保護者・地域との軋轢を生じる。十分に時間をかけて議論を行い、理解を得ることが必要だ。また、同時に管理職の資質の向上も必要だろう。教頭に服務管理を担わせるなら、副校長を配置して学校経営のマネジメントを行うことが必要だ。今の大阪府立の学校のように副校長を配置していないのでは、教頭の負担が大きすぎる。
教員の残業手当の問題は、いままで「定額働かせ放題」の中で積み上げられてきた学校文化そのものを変えようとしているし、変わらなければ解決しない。
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