読売新聞教育部長 村井氏の指摘

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 1月16日の読売新聞の教育欄に教育部長村井正美氏の「展望2024」が掲載されていた。お笑い芸人友近さんの小学校の5・6年担任の先生との交換日記を例に挙げ、言葉の大切さを指摘している。これと対比して、文科省が生成AIの活用例として、「式辞等の原稿のたたき台を作る」を挙げているに違和感を感じると述べている。村井氏は「恩師のコトバ」を通じて、先生が子どもの人生に大きな影響を与えることに触れてきたためだ。たとえ、業務軽減とはいえ、式辞のたたき台を生成AIで作成して良いのかという指摘である。全く正しい。

 私が校長を務めていたとき、卒業式の式次をどんな内容にするかは、年明けの正月から考え始めた。世の中の動き、生徒たちが過ごした学校生活、そして生徒たちの未来を考え、式辞の内容を考えた。ある意味、楽しみでもある。卒業式は、生徒が体験する最後の行事である。校長の式辞は、「退屈」と思われることが多い中で、最低でも20分ほどの時間を要する。校長式辞の時間を退屈に思わせてはダメだ、できるならば心のどこかに残ってほしいと思い、式辞を考えていた。だから、楽しいし、やりがいがあるのだ。私の中で、たとえたたき台といえども、式辞作成に生成AIを使う発想はまるでない。

 村井氏が指摘するように、「働き方改革」を御旗に子どもを置き去りにした改革が進んでいないかというのは、まるで正しい。私が以前に勤めた国立大学法人の附属中学校でも、是正勧告を受けて急激に勤務時間の短縮が行われた。ターゲットは部活である。部活の時間が短縮したのである。そこで、今年度の生徒会選挙では、「部活時間の増加」をスローガンに訴えた生徒会長候補が当選したと聞いた。生徒や保護者を置き去りにした働き方改革を進めるからこういうことになる。確かに、働き方改革は進めなければならない。しかし、学校のステークホルダーと十分な協議を行いながら進めなければならない。互いに納得感得られなければ、生徒置き去り・保護者置き去りの「働き方改革」が進行する。そのことは、まさに教育の質の低下に直結してしまうのだから。

村井教育部長には、読売新聞の教育欄の充実を期待したいと思う。


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