教育崩壊をもたらす財務省案


財務省の「教職調整額案」についてである。11月8日の読売新聞にその案が掲載されていた。要旨は、
①教員全体の平均残業時間を減らすことができた場合は、翌年度に調整額を増やし、10%まで段階的に引き上げる。
②残業時間を減らせない場合は調整額を据え置く
③将来的には、現行の制度を廃止し、残業時間に応じ手当を支給する仕組みに移行する。
④国が負担する残業代は月20時間分を上限とする
というものだ。教員もここまでコケにされたかと思う。中教審答申を踏まえた文科省が提案した概算請求とも大きくかけ離れており、文科省も馬鹿にされた内容だ。

 まず、財務省の根底にある考え方は、「教員は無駄な働きをしている。だから、残業時間を減らせば、給料をあげてやる」ということだ。教員は、タイムマネジメントもできない輩の集まりだから、まずはしっかりタイムマネジメントを行え、それから給料をあげてくれと言え、ということだろう。これほど教師の仕事を馬鹿にした姿勢もない。たまに、無駄に学校にいる教員もいるが、極めて少数である。多くの教員は、児童生徒に求められる教育を行うために仕事をしており、そのために残業しているのだ。本当に腹が立つ。

 なぜ、こんなに腹が立つかというと、学校現場を知らない人間は、教員がどんなに丁寧に、児童生徒のために仕事をしているのか知らないのに、まるで無駄な働き方をしていると認識しているからだ。この経験を私はした。附属学校で校長をしている時に、大学が職安から是正勧告を受け、残業代の支給がされることとなった。この時、大学当局から強烈な時短の指導が入った。私が主張したのは、時短する必要はあるが、教育の質は落としてはならない、そのためには部活動の地域移行をまずもって行うことだ、ということだ。そうすれば、教員も定時で仕事を終える可能性が極めて高くなる。ところが、大学当局の姿勢は、残業時間が多い先生に、ねちねちと尋問と言えるほど懇談の時間を取り、時短を迫った。残業時間の多い先生は、多いだけの理由があるのにも関わらずだ。
 例えば、芸術系の先生は学校に一人しかいない。一人で3学年を教えなければならない。英語の先生は、各学年一人いるので、教材作成も1学年分で良い。ところが、芸術系の先生は、3学年分の教材作成が必要になる。これだけで3倍の時間が必要なのだ。このことを、懇々と話しても大学当局は、「なぜこの先生は、残業時間が多いのか?」と繰り返し繰り返し言ってくる。無駄な働きをしていると頭から思っているのだろう。大学の事務をしていた事務職の方が、附属中学校の事務に配属された時、「先生方がこれだけ丁寧に仕事をされているとは知らなかった」と私に言ってくれた。実態を知らなければ、大学当局や財務省のような考えになるのだ。

 さらに、財務省は、残業が正当な労働であるという労働基準法の考えに反している。残業時間を減らしたら、賃金を引き上げてやるという民間会社の社長がどこにいる!おかしいだろう。将来的に給特法を廃止するなら、適用されるのは労働基準法だ。労働基準法に残業代を20時間までしか出さないというようなことがあるのか。公務員は、月45時間、年間360時間まで残業の上限が設定されているのだ。残りの月25時間分は自治体が出せということなのか。これでは、益々サービス残業が増える。

 こんな改革案で、果たして教員不足は解消すると思っているのだろうか。益々有意な人材が学校現場から離れていくだろう。この財務省の案は、確実に教育現場に崩壊をもたらす。中教審答申に関係した教育行政に関わる人たち、そして大学の学者、そして教育評論家の皆様は、この財務省案をどのように評価し、どのように闘っていくのか(いかないのか)、これから注視していきたい。


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