なるほど、だから教員試験に合格しても辞退するのだと、妙に納得する記事があった。
教員採用試験に合格も辞退…学校の先生にならないワケとは?当事者「“保護者への対応”に違和感」「閉鎖的な教育現場に嫌気がさした」
である。ここで紹介されているケースは、いずれも学校という文化と社会常識にズレがあることを物語っている。
最初のケースは、
「練習を中断して、保護者さんに電話対応しているのを目の前で見てしまった。自分のスマートフォンを使いながら、保護者さんへ対応しているのは、ちょっと違和感を感じてしまった」。というものだ。
サッカーの練習を先輩教員としていた時に、先輩教員の保護者対応に違和感を覚えたというものだ。現職の先生、これを読んでどう思いますか?私の経験だと、こんなことは日常茶飯事だった。学校で保護者に連絡しても保護者も帰宅していないし、仕事中だったりすると携帯電話にも出てもらえない。仕方なく、家に帰って自宅から電話をするということは度々あった。これが、今の世の中の働き方からすると、「不適切にもほどがある!」と映るのだろう。世の中、ワークライフバランスが重要である。「24時間、働けますか?!」の時代ではない。きちんと仕事と私生活を分けるのが当たり前なのだが、子どもを目の前にするとそうはいかないというところが、学校なのである。更に、学校であったちょっとしたトラブルでも報告を怠ると、保護者からは不信感を持たれてしまい、問題がどんどん大きくなるケースはよくあることなのだ。この先輩も電話対応をしたくてしているわけではない。仕方なくやっている。それが学校という文化なのだ。
もう一つのケースは、採用試験の面接時の話だ。いじめのテーマで、次のように回答したという。
「いじめをどう対処するかみたいなディスカッションして、自分は会社員なので曖昧にすることなく、程度によって警察に通報するとか、解決策とゴールみたいなものを設定しようとした。でも試験官は“そうだね”という雰囲気も感じなかった。社会人経験の良さを出したいと思ったが、出ないんじゃないかと思った」
と学校現場の閉鎖性を感じたという。この回答は、決して間違っていないし、私が面接官なら、勇気をもってよくぞ言ってくれた!と絶賛する。しかし、この場合の面接官は、同意も無く、「シラーッ」とした雰囲気だったのだ。面接官は、熱血教師張りに「最後まで子どもたちと関わって、お互いの理解を進めていきます!」というような回答が欲しかったのだろうか。いじめ問題では、法に触れるような事象があれば、毅然と警察と連携するのは今や常識だ。明らかに、社会の常識と学校の常識にズレがある。 前者のケースは如何ともしがたいが、後者のケースは明らかに教育委員会の認識が間違っている。立川の事件も発生し、今後ますます教員離れが加速するだろう。いい加減、政治がきちんと対応しなければならないと思うのだが、国会で議論されているのは、的外れな給特法の改正及びその修正である。偉そうに「国家百年の計」と枕詞のように述べているのに、与党も野党もきちんと教育を勉強しなければ、国家が崩壊する。
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