奈良教育大学附属小問題でブログを書くと、アクセス数が急増することを考えると、この問題に関して皆さんの関心が強いのだろう。3年の間で全教員を出向させるという大学の方針(以下、「3年計画」とする)を巡って、いろいろな意見が交わされている。このような対策が取られた背景には、附属小の教員の中に「職員会議が最高議決機関」という意識があり、校長のマネジメントが十分に行えないという問題があるのだろう。
「3年計画」という対策が妥当かと言われたら、かなりハードランディングになることが予想される。保護者からも人事異動の激しさによる不安が表明されたのは、当然の成り行きだろう。他の国立大学附属学校がどうなっているかはわからないが、私が経験した兵庫教育大学附属学校は、教育委員会からの人事派遣で教員が構成されており、基本3年間の派遣となっている。延長しても5年である。だから、入れ替わりが大変激しい。私が、大阪府立高校で校長をしていた時は、通常は在籍年数が6年~8年ほどで転勤する(新任は4年~6年)。このぐらい在籍してもらうと校長としては人事計画が立て易くなるが、3年で学校を去られると、中々人事方針が成り立たない。常勤講師の先生は、最大5年は在籍することができたので、まだ人事方針が見通せたが、私が退職した時から、新しく採用された常勤講師から最大3年在籍に変更された。校長としては、とんでもなく経営が難しい。果たして、奈良教育大学附属小の「3年計画」は、うまく運用されていくのだろうか。最も重要なことは、児童・生徒に十分な教育環境を提供することである。
教育系大学にとって附属学校というのは、ある意味「研究(実験)の場」である。このこと自体は、間違っていない。だが、この考えが強調されすぎると、附属学校の教育環境が歪になる。国立大学の附属学校と言えば、「エリート校」と認識されている。事実、入試倍率が何十倍何百倍もある附属学校が多い。家庭の教育力も相当高いと予想される。附属学校の教育の不十分さを十分家庭の教育力で解消できる能力を持っているのではないかと思うのだ。ところが、私が在籍していた兵庫教育大学附属学校は、長年定員割れを続けており、また立地条件からも地元の公立学校と大差が無い学校だった。十分な教育力を持った家庭(例えば、大学関係者の家庭)から、十分とは言えない家庭まで様々だった。だから、私は、「研究の場」であるということも大事だが、「子どもにとっては、唯一の小中学校の経験であるということを重視すべき」というスタンスで経営を行った。この私のスタンスは、中々大学には理解されなかった。私が大学から「附属の校長として不適格」と1年前に通告されたのも、このスタンスの違いが根底にあったと思っている。もっと、発達障害や不登校の生徒への支援、学力不足の生徒への支援が必要だったし、ずっと大学に支援(つまりお金の投資)を要望していたからだ。
奈良教育大学の「3年計画」も、大学と教員の対立に重きを置かれ、児童の教育環境が軽んじられることが無いように願いたい。
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