4月25日の文部科学委員会で参考人質疑が行われた。出席したのは、大阪大学大学院人間科学研究科の髙橋哲准教授、戸ヶ﨑勤・埼玉県戸田市教育長、梶原貴・日本教職員組合中央執行委員長、渡辺陽平・全日本教職員連盟委員長である。この参考人質疑の中で、戸ヶ崎氏は、次のように述べている。
「日々の教師の業務が、どこまでが職務でどこからが職務ではないのかということを精緻に切り分けて考えることは極めて難しい。教師の裁量を大切にする給特法の精神は維持すべきと考えている」
と。教職は子どもの状況に応じて臨機応変に対応する能力が求められ、自発性や創造性に委ねる部分が大きいという意見である。これについて「?」と思うのだ。給特法が制定された1971年当時と今では、労働時間に関する捉え方が、大きく変化している。厚労省の働き方改革のガイドラインには、労働時間の考え方として、
●労働時間とは使用者の指揮命令下に置かれている時間であり、使用者の明示又は黙示の指示により労働者が業務に従事する時間は労働時間に当たること
としている。例えば、授業の準備を行うことは、教員の中核的な仕事であり、使用者の指揮命令下に置かれているのは当然だろう。保護者対応についても、担任が窓口となって行わなければならないことは多々あり、当然労働時間に当たる。それが時間外になることが学校では当たり前のこととなっているのだ。これら、教師の中核的な仕事が、「黙示の指示」以上に教員の「自発的な仕事」として行われているのが学校現場である。その法的根拠となっているのが、給特法だ。
確かに教師の仕事は、際限ない。それは、論文を書くのと同じようである。つまり、終わりがないのだ。より良い授業をしようと教材研究を始めたら、betterな選択はできても、これがbestだと思うことはなかなかない。しかし、今学校現場が抱えている問題は、そんなbetterな教材研究さえも十分にできない状況にあるということだ。戸ヶ崎教育長の言うように、「精緻な切り分けが難しい」という面はあるだろう。しかし、前述した厚労省のガイドラインにも客観的な労働時間の把握として、タイムカードだけではなく、PCのログなども労働時間の把握に活用されている。事実、私が勤めた附属学校で、労基局から是正勧告を受けたときは、各先生が使っているPCのログ情報が指示された。
確かに、自主研修と労働時間の区別は苦慮する面もあるが、私が研修を受けた社労士の話では、「仕事に関係する自主研修は、すべて労働時間と認められる」という。だから、戸ヶ崎教育長のように、「精緻な切り分け」は、比較的容易であるし、何よりもまともな教材研究の時間さえ時間外に行わなければならない学校現場に対し、まずは教員の仕事として当たり前にやらざるを得ない時間外労働に、正当な対価を払うという事が行われるべきであろう。そして、教員定数を増やし、教員が教員としての中核的な業務に専念できるように、SC、SSW、SLを学校現場に配置しなければならない。戸ヶ崎教育長は、給特法を維持するような主張をすべきではなく、学校現場に最も近い教育長として、学校の実情をしっかりと伝えるべきだったのではないか。「精緻な切り分け」に言及する前に、言わなければならないことはたくさんあっただろう。
一方、大阪大学の高橋准教授の論旨は明確だ。
「本来なら超勤4項目以外の時間外勤務が発生した時点で、労働基準法違反に当たるはずだが、違法性が問われないのは文部科学省の所業によるもの」
「行政の範囲を超えた労働基準法の書き換えであり、この越権行為が教師の過労死直前の状態で働く労働環境を生み出し、全国的な教員不足を招く要因を作り出している」
「実際に発生している教員の時間外勤務を労働基準法上の労働時間として認めること、これが働き方改革の一丁目一番地であることを、研究者の立場から強く指摘したい」
という主張は、聴いていて胸がすく思いをした。よくぞ言ってくれたと思う。
この給特法の改正の議論は、どのような方向に向かっていくのだろうか?少数与党の下、国会を通過するのだろうか。
文部科学委員会を傍聴していてつくづく思うことがある。追求する野党側の議員も教育という分野については、本当に素人である。さらに、勉強していない。これでは、議論しても議論が深まらないのではないかと危惧する。
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