6月17日の朝日新聞に「改正『教員給特法』どう見る」㊦が掲載され、戸田市教育長の戸ヶ崎氏がインタビューに応えていた。興味深いので読んでみた。
「法の枠組み維持が必要と考えた理由は」
という質問に対して、戸ヶ崎氏は、
「『教育職員人材確保法』の精神がなくなっては困る」
と応え、「その精神とは」という質問に対して、次のように答えている。
「教師の仕事は全人格的なものだ。逐一、管理職の職務命令に基づいて仕事をするのではなく、目の前の子に臨機応変に対応しなければならない。そこが一般公務員とは異なる教職の醍醐味であり、法の精神だ。」
と。さらに、「仮に廃止されると心配なのは?」という質問に対して、
「校長の労務管理だ。給特法は、学校行事や職員会議などの4項目以外で、校長は残業を命じてはならないとしている。法が廃止されると、校長は教師に、どんな業務をどの程度するのかを命令しなければならない。日々の仕事がどこまで職務かを切り分けるのは、大変難しい。そもそも教師は、管理したくもされたくもない人が多いと思う」
と答えている。ここで、戸ヶ崎氏に聞きたい。
① 国立行政法人系の附属学校と私立学校は、民間組織として労基法が適応されるが、彼らは全人格をかけて教育活動をしていないのか?
② 国立行政法人系の附属学校と私立学校は、目の前の子どもに臨機応変に対応していないのか?
③ 労働基準局は、教師の仕事を幅広く捉えている。極端に言えば、PCの電源を入れてから、切るまでを勤務時間として捉えている。管理職が行うことは教員のタイムマネジメントで良いのではないか?
朝日新聞もこの点について、鋭く質問すべきだ。ツッコミが生ぬるい。これが、天下の朝日新聞かと思う。
確かに、教員には管理されたくない人がいる。だから、タイムマネジメントを意識せずに、仕事をしてしまう人がいる。しかし、そういう人が多数派だということは無い。多くの教員は、やらなければならない仕事に忙殺されているのだ。これで、教育委員会-管理職から「時短」を言われれば、「持ち帰り仕事」が増えるだけだろう。
戸ヶ崎氏は、学校現場の仕事量を正確に把握しているのだろうか。多くの教員は、帰りたいけど、明日の仕事のために残って仕事をしなければならないのだ。
戸ヶ崎氏は、自身の教師人生を振り返り、「3年B組金八先生」に触れ、当時の中学校の荒れについて触れている。
「非行や問題行動を繰り返す子どもたちは極めて繊細で、教師のお世辞をすぐ見抜く、その子たちと一日一日、一瞬一瞬、真剣勝負をする。裁量と相違工夫が生かされなければ、効果的な教育活動ができない」
と回想している。このような風景が戸ヶ崎氏の教師人生の根幹にあるのだろう。これ自体を否定するつもりは一切ないし、貴重な体験だと思う。しかし、このことをもって。現在の教員が抱える仕事量を考えられると、それは違うと言いたくなるのだ。
コメントを残す