息子と登校は是か非か


 7月1日の読売新聞の人生案内に、小2の息子と一緒に登校する会社員女性の相談が掲載されていた。その女性の息子は、寝起きが悪くて準備も遅く、ギリギリの時間に家を出ていたが、同行してからスムーズに登校できるようになったらしい。夫が初めて同行した時、校門前でぐずる息子に対して、ハグしたりハイタッチしている姿を見て、「あんなことしてたらあかんわ。一人で行かせなあかん!」と一喝したらしい。「夫は過保護であるというが、私は非常識だろうか?」というのが、相談内容である。

 この相談に対して、尾木氏(教育評論家の尾木ママ)が、次のように答えている。
〇一緒に登校するようになってからスムーズになっていいことづくめ
〇近年、事故や事件の対応で親子登校も一般的になっている。
〇ハグもハイタッチも問題が起こっていないなら問題ない。
〇一緒に登校することで、地域の様子や子どもの様子もわかる。そのことがひいては地域貢献にもなる。
〇父親もたまには一緒に登校してはどうだろうか

 尾木氏は、諸手を挙げて賛成のようだ。果たしてそうだろうか?この息子は、おそらく一人っ子だろう。兄弟がおればこのようなことはできない。一人っ子というのは、生まれたときから大人社会の中で育つ。「転ばぬ先の杖」で保護され、子どもが持つ真っ正直な欲求のぶつかり合いを知らずに育つ。幼稚園や保育所に行っても、家庭では大人社会の中で育つのだ。だから、一人っ子ほど、親は「子の自立」ということを意識しながら育てなければならない。
 この学校は、集団登校のシステムが無いようだ。私が勤務していた付属中学校には附属小学校が隣接していたが、そこにも無かった。辺鄙なところにあるため、親が車で学校まで送ってくるのだ。その一方、地元の小学校は集団登校を採用していた。自宅から歩いて出勤していた時に、よく地元の小学校の集団登校に出くわした。高学年の児童が、低学年の児童に気配りしながら登校する風景は、如何にも微笑ましい。いや、それだけではない。集団登校には、子どもを育てる教育的意義がある。
 こんな風景があった。低学年の女の子が登校するとき、親が心配なのだろう、家の前でずっと二人で立っている。集団登校の子どもたちが家の前に来たら、その女の子は親元を離れ、集団登校の中に入っていくのだ。私は、この瞬間がとても大事だと思う。大人にとってはどうってことないかもしれないが、子どもにとっては、大人社会から子ども社会に飛び込む瞬間なのだ。そこに親の庇護は無い。あらゆる出来事には、自分で対処しなければならないのだ。こうやって、子どもは日々の訓練の中で自立していくのではないかと思う。

 相談された親も、今後は「どうやって自立させるか?」ということを念頭に置かなければならない。昔、私は母親にこんなことを言われて育った。「男は、一歩外に出たら、7人の敵がいるというねん。気持ちをちゃんと持って学校に行きなさい」と。ここまで言わなくてもいいと思うが、父親の言う過保護を脱するために、夫婦で子の自立に向けた話し合いをされることをお勧めする。


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