得票率15.8%で当選!


 京都市長選で、非共産の候補の松井氏が当選した。獲得投票数が177,454票である。共産系の福山氏が161,203票の獲得なので、薄氷の勝利と言えるだろう。選挙の勝因・敗因を分析したいわけではない。投票率の問題だ。今回の投票率は41.67%で前回よりも微増したという。このデータをもとに全有権者数の中で当選した松井氏の得票率は、わずか15.8%でしかない。二位の福山氏が14.35%である。20%にも満たない人の意志表示によって、京都市政が左右されるのだ。また、群馬市長選でも当選した小川氏は、全有権者の22.29%の得票しか得られていない。投票に行かないのも権利ということを言われたこともあるが、こんな少数者の意思表示で市政が決定して良いのだろうかと思う。

 国政選挙は、国の舵取りを決める選挙だ。大事であると言えば違いないが、自分の生活に直結するかと言えば、実は直結するのだが、実感しにくい。しかし、市政は自分の住む町の話だ。自分の様々な生活事象に関わってくる。例えば、子育てもそうだし、ごみの回収もそうだ。今や京都市はオーバーツーリズムに苦しんでいる。このような生活に直結した課題になぜ意思表示しないのだろうか。私は、今まで選挙を棄権したことがない。必ず投票した。それは、国民・市民としての権利でもあるし、義務とも思っているからだ。もう、衆愚政治どころではない。選挙という民主主義の道具が機能していないのではないかと思う。世界の各国の投票率は、もっと高い。世界の多くの人が、世界の今後の方向性を考えて意思表示しているのだ。こんなところからも日本人の意識は遅れているのではないか。いつまでも政治に無関心では、世の中は変わらない。

 この低投票率の要因の一つに、政治教育の脆弱性がある。成人年齢が引き下げられ、18歳で投票できるようになった。その時は一時的に参政権についての取り組みが各地で行われたが、その取り組みは選挙管理委員会から本物の投票箱を借りてくるというイベント的な取り組みだった。情けない限りだ。もっとシチズンシップ教育を行わなければならない。市民としての義務と権利を学ばなければならない。と言っても、教師自身がどれだけ投票に行っているかという問題もある。自らの政治的意思表示ができない教師に教えられる子どもに、政治的意思表示ができるわけがない。日本の教師の小市民的資質も、見逃せない一つの要因だ。


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