文芸春秋に塩野七生さんの「日本人へ」が連載されている。塩野さんのこの連載を読むだけで文芸春秋を購入していた時もあった。7月号は、250回連載記念として、司馬さんの「竜馬がゆく」についての塩野さんの感想だ。塩野さんは竜馬について、「年長の権力者たちにしてみれば、部下に持つには理想的な若者」と評し、共感の連続だと書いている。ただ、終盤になるとその気持ちも変わってくると言っているのだ。それは、新政府構想に関するところである。
竜馬は、徳川幕府から天皇を中心とした政権への平和的移行をめざしていた。そのための政権構想が
関白 三条実美
副関白 徳川慶喜
議奏 島津久光 毛利敬親 鍋島閑叟 他二人の藩主と岩倉具視ら公卿三人
参議 西郷隆盛 大久保利通 木戸孝允 後藤象二郎ほか五人
である。この構想が実現すれば、司馬さんが言うように「鳥羽伏見の戦いは起こらなかった」し、戊辰戦争や西南戦争も起こらなかったと塩野さんは言う。ところが、塩野さんは、「日本そのものは、封建社会のままで続いていただろう」というのだ。その理由は、島津久光を筆頭に「封建社会」の権化のような藩主が政府要人になっているからだ。果たして、封建時代は続くだろうかと疑問に思った。
ここから、歴史の「If」を考えてみたい。確かに明治維新早々に行われた明治四年の廃藩置県は行われなかったであろう。そういう意味では、封建的な制度は残る。そして、ドイツのように諸侯の連合体としての日本が誕生することになる。しかし、ここからが問題だ。世界は、すでに帝国主義の時代になっており、中国はアヘン戦争敗北以降、ヨーロッパの国々に侵略されている。次は日本という危機意識の中で、明治維新がなされたわけで、この国際情勢をめぐる危機に変化はない。さすれば、竜馬が構想した政府の中で、激論が交わされるだろう。その中で、「自分は新しい幕府の将軍になる」と秘かに考えていた島津久光や毛利敬親は、この危機的状況に対処できない。プライドだけ高い久光は、「やってられるか!」と早々に政権から外れるだろうし、優柔不断な敬親は何のリーダーシップも発揮せず、自分の居場所を見つけられず、政権から逃げ出すだろう。ここで、どのような政権を構築するか、再度国内は流動化する。もしかしたら、英明と言われる慶喜を中心とする政権が構想されるかもしれないが、これを薩摩や長州が受け入れるだろうか。竜馬が生きていれば、薩長同盟を成立させたように、徳薩長土肥政権を成立させ、救国政権を構想したかもしれない。そうなれば、富国強兵、殖産興業は実施されていく。しかし、廃藩置県は政権に慶喜がいる限り、最後の最後までできないのではないか。この時、明治政府、最大の危機が訪れ、戊辰戦争ではなく、まさに徳川vs薩長の国内戦争が起こるかもしれない。勝利するのは、玉を担いだ方だろう。歴史は、薩長が玉を担いでいるが、それは岩倉らの政治工作であり、慶喜が玉を担ぐかもしれないのだ。
封建主義から資本主義に移行するのは、歴史の流れである。この移行がどのような形で行われるかは、国内の資本の蓄積(資本家の成長)具合による。すでに周りが、資本主義が牙をむく帝国主義の時代に移っていた明治の時代では、政府が資本を蓄積し、成長させていく国家資本主義の形をとらざるを得なかった。そうすれば、一番弊害になるのが藩組織なのだ。やがて、廃藩置県は起こり、封建時代は終わるだろうが、それが日本を狙う諸外国の動向を考えると、間に合うのかどうかである。もしかすると、慶喜がドイツのビスマルクのような役割を果たすかもしれないと思うと、なかなか面白いではないか。
以上、歴史の妄想も、また面白い。
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