国際バカロレアについてーその4


 その3の続きとして、私を国際バカロレアに突き進めた附属中の探求学習のレベルの高さに触れたいと思う。私が赴任する前の附属中の探求学習のテーマは、「オリンピックとパラリンピック」をテーマに教科横断的な学びについて研究を行っていた。文部科学省の委託研究の発表を赴任する前に視聴したが、「もう一つ何をしたいのかわからない」というのが率直な感想で、東京オリンピック、パラリンピックが開催されるから世間の注目度も上がるので、これを題材に教科横断型のクロスカリキュラムを研究しようという程度にしか理解できなかった。どのような教科横断ができるのだろう。かなり無理があるのではないかと思っていたが、案の定、赴任してからの教員の感想には、「うーん、しんどかったな・・・」という感想が聞かれた。
 そのあとに、新型コロナウイルス蔓延下で進められていたのが、「ミライの学校プロジェクト」である。この探求では、その次の年に開花する様々な取り組みの「種まき」が行われたのではないかと思う。例えば、校舎改修に向けた動きと連動した図書館改修プロジェクトへの生徒参加、SDGsに関係する地域連携、ルールメイキングに向けた校則の見直し、など様々なプロジェクトが生徒と教師の共同作業で実施された。このプロジェクトを経験した生徒たちが、次年度の探求学習や校則のルールメイキングや体育祭・文化祭への参画を積極的に行うようになっていったのである。また、加東市を中心とした街づくりについて、SDGsの観点から積極的に提案を行う生徒も現れてきたし、実際に地域の団体と共に活動する生徒も現れた。まさに、令和3年度の「ミライの学校プロジェクト」がスタートになっている。
 この面白いプロジェクトが実施されようとしているときに、大学からは「STEAM教育」の研究推進が提案された。この提案は、当時の研究部長であるF先生をかなり悩ませたのではないかと思う。私は、「研究の課題はSTEAMではない」と早々に割り切っていたので、深くかかわることはしなかった。F先生には申し訳ないことをしたと思っているが、あれ以上関わっていると正面切って大学に反論していたと思うので、早々に身を引いた。引かれたF先生は大変だったと思う。この場を借りて、謝りたい。
 私のSTEAM教育についての見解を述べておく。ここでは、「そもそもSTEAMとは・・・」と深入りしないが、一つだけ文科省がSTEAM教育をどのように捉えているかだけは紹介しておく。次のように文科省は定義している。

STEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)に加え、芸術、文化、生活、経済、法律、政治、倫理等を含めた広い範囲でAを定義し、各教科等での学習を実社会での問題発見・解決に生かしていくための教科等横断的な学習を推進すること

そこで、私のSTEAM教育に対する見解を述べると、
①そもそもSTEAM教育が求められる中心は、高校段階であること。なぜなら大学受験の影響かつ週5日間の授業でのタイトな授業カリキュラムの中で、高校2年生の段階から文理に分かれる高校では、文系生徒は、理数を学ぶ機会が極端に減るし、理系生徒は幅広くA(Artなどの幅広いリベラルアーツ)を学ぶ機会が減るからである。そのため、アンバランスな学生が大学に入学することになり、そのまま社会人なることで、生産性の向上に支障が出ているのである。
②高校の基礎段階として小中でもSTEAM教育は必要だが、どの分野もまんべんなくバランスよく編成されているカリキュラムの小中では、それほど重視されない。
③あえて、教科横断的な取り組みを行おうとすると、教科の本質的な学びをゆがめてしまうリスクが生じてしまう。
④結局のところ何かSTEAM教育をやろうとすると、小中段階ではプログラミング教育に落ち着いてしまうというのが実態である。
ということになる。相当極端で乱暴な言い方であるが、STEAM教育の本質や実態から、それほど離れているとは思えない。さらに、大学ではこのSTEAM教育をsociety5.0と結びつけて、well-beingが目標とまで定義していた。このベースにあるのは、経済産業省のSTEAM教育の定義だが、これはさすがに拡大解釈ではないか思えてしまうのは私だけだろうか。
 このSTEAM教育は、一言で言ってしまえば、各教科を学ぶ上で、教科横断的な視点をもって学ぼうという「学び方」を示す教育ともいえるが、「国際バカロレアとは何か」のところで述べる予定の概念教育とは、似て非なるものである。国際バカロレアは、まさにOECD2030の目標と合致する教育を当初から展開しており、その目標を実現するためにどのような教育を実施すべきかを日々発展させている。つまり、私からすれば、国際バカロレアこそ、well-beingを目指す教育そのものであり、STEAM教育は教科横断という学び方を示しているに過ぎないということである。
 附属中学校は、次年度は「国際バカロレアをやめてSTEAM教育」を行うと宣言しているらしいが、これほど馬鹿なことはない。国際バカロレアとSTEAM教育は目的と手段という次元の違う話で、対立するものでは一切ない。この二つの関係は、国際バカロレアという教育目的を推進するために、その一分野としてSTEAM教育が語られるにすぎないということで整理できるのである。それを同じ土俵でまるで同次元に語るとは、どういうことだろうと思ってしまう。もう少し教育的知見を高めてもらいたい。大学がSTEAM教育を進めているのは、ある意味企業から献金や経産省を中心とした政府からの研究事業費の獲得もある。ただ、付属高校を持たない兵庫教育大学では、焦眉の課題ではないのである。先にも述べたように、小中段階では所詮その実践はプログラミング教育に帰結してしまうだろう。

 最初に戻るが、この「ミライの学校プロジェクト」は、素晴らしい取り組みだった。この取り組みを土台として附属中の探求学習は、飛躍的に伸びたと言えるだろう。そして、このような取り組みを本当に熱心に取り組み、生徒と共に創り上げようとした教員がいたからこそ、私を国際バカロレアに突き進めたのである。


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