国立行政法人の病院


 以前に国立行政法人の病院(具体的には南大阪医療センターのこと)での出来事を書いた。その後、父親の手術の経過も良好ということで、リハビリをして以前のように歩行器を使用して歩けるようになるか、それとも車いす生活で行くかという選択肢を示された。おそらく90歳という高齢の事もあり、そういう選択肢を示されたのだと思うが、家族としては、たとえ歩行器を使ってでも手術前のように自分で歩けた方が、本人も幸せだろうと思うのは当然と判断する。あの選択肢を示されたときから2週間ほどたつが、「なんであんなことを聞くのだろう。まあ、家族の選択にゆだねたということだろうが、医者の判断とか、助言とかは無いのか」と思うのだ。

 さて、11月4日、リハビリ専門の病院に父親が転院する日。父親の転院手続きのために病院に向かった。父親に会ってびっくりしたのは、異常に痩せていたことだ。ナースに聞くと、食べないことが多い、そしてリハビリもあまり進んでいないということだった。元々施設に入ってカロリーコントロールはされており、施設に入る前よりは痩せていたが、病的な痩せ方ではなかった。いつも見ている者からしても、不安になる感じだった。

 リハビリの病院は、南大阪医療センターの目の前にある南河内岡記念病院である。車いすに乗って、車で移動した。リハビリ記念病院では、入院にあたりまた書類の山である。父親は入院のための検査も終わり受付で車いすに乗って待っていた。すると、父親は弱弱しく私を呼ぶのだ。「どうしたの?」と聞くと、「しんどい」という。今までベッドに寝ていたので、たとえ車いすでもしんどいようだ。ナースに声をかけて病室に行けないかと聞くと、「すぐ行きましょう」と言ってくれた。この日は、1時から6時まで転院のために時間がかかった。

 東京に住んでいる弟とも父親の変わりようについて話をした。とにかくコロナ禍後、病院の面会は限られた時間しか会いに行けない。母親が入院しているときは、校長をしながらでも仕事の帰りに病院に寄ることができた。だが、今は2時半から4時までが面会時間である。フルタイムで仕事をしている私には、休日しか会いに行くことができない。

 11月9日、父親に火曜日から久しぶりに会った。何となく元気を取り戻しているようだ。ナースに聞くと、食事も完食するらしい。なんとなく体重も戻ってきたようだ。少し安心した。父親は、気弱になっているのか息子の私に会いたがっていたようだ。もう会えないと思っていたと言った。「そんなことは無いよ、来ることができる時は来るからね」と言って、病院を出た。

 さて、これが父親の南大阪医療センターから民間の病院に移った経過だが、民間の病院に移って思うのは、民間病院の方が清潔感があるし、明るいし、ナースの対応も良いということだ。南大阪医療センターにいる時は、とにかくナースは忙しくしている。ナースステーションの前に立っても、こちらから声をかけるまで、誰も声をかけてくれない。担当の患者で無ければ、私は関係ないという態度のように思える。私は、何も南大阪医療センターのナースの悪口を言いたいのではない。どうも、ナースが忙しすぎる、つまり人員削減のための多忙化ではないかと思うのだ。休日などに行くと、ほとんどの廊下の照明は消されている。病棟に行っても廊下が暗い。これは、明らかに経費削減なのだろうと思うのだ。民間の岡記念病院は、休日でも廊下には煌々と照明がつき、大変明るい。休日のナースも多かった。

 国立行政法人は民間組織であるが、国立大学と同様、国からの予算で運営されている。この南大阪医療センターを見てみると、どうも国から潤沢な資金提供が為されているとは言えないように見えてしまう。民間病院に転院して、親父の様子も改善したように見えた家族からすると、国立行政法人の病院って大丈夫?と思ってしまうのだ。

 “The personal is political”ではないが、親父の入院を通して感じたことを書いてみた。


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