問題は思想にあるー給特法衆院通過

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 教員の処遇改善などに向けた給特法改正案が5月15日、衆院本会議で賛成多数で可決され、参院に送られた。今回は、政府の改正案に対して、自民、公明、立憲民主、日本維新の会、国民民主党が修正案を提案し、修正案が可決された。5月15日付けの教育新聞(web版)によると、修正された箇所は、

1.政府は、29年度までに、公立の義務教育諸学校等の教育職員について、1カ月時間外在校等時間を平均30時間程度に削減することを目標とし、次の措置を講ずるものとする。
・教育職員1人当たりの担当する授業時数を削減すること。
・教育課程の編成の在り方について検討を行うこと。
・公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律に規定する教職員定数の標準を改定すること。
・教育職員以外の学校の教育活動を支援する人材を増員すること。
・不当な要求等を行う保護者等への対応について支援を行うこと。
・部活動の地域における展開等を円滑に進めるための財政的な援助を行うこと。
・このほか、教育職員の業務の量の削減のために必要な措置。

2.政府は、公立の中学校の同学年の生徒で編制する学級に係る1学級の生徒の数の標準について、26年度から35人に引き下げるよう、法制上の措置その他の必要な措置を講ずるものとする。

という内容だ。教員の働き方改革のポイントは3つあると以前から主張してきた。それは、
(1)時間外在校等時間(残業)に対して、正当な対価を支払う事(労基法の適用)
(2)教員の授業時間の削減(教職員定数の見直し)
(3)SC、SSW、SLなどを配置し、教員が生徒に向き合え、授業に集中できる時間の確保

(2)と(3)については、若干の前進があったようである。しかし、給特法の根本である思想が変わっていない。それは「定額働かせ放題」の根拠となっている教職調整額の問題だ。この教職調整額は、「教員の仕事は専門的要素が強く、どこまでが仕事でどこまでが仕事でないかの判別ができない」という考えの下、設定されている。法案が成立した1971年にもこの点が論点となったが、文部省(当時)が譲らなかった点である。果たして、教員の専門性とは何なのか。例えば、医者も自らの力量を上げるべく研鑽が求められる。しかし、医者も労基法が適応され、働き方改革が進む中で、膨大な自己研鑽の時間も労働時間と捉えられるようになった。「ドクター調整額」など無いのだ。

 なぜ、ここまで教員の専門性に文科省は拘るのか。それはこの思想の根底に「教師聖職論」があるためと考える。戦後文科省と日教組は対立を繰り返してきた。その中の論点の一つが、「教師は労働者か聖職者か」という問題なのだ。しかし、文科省が「教師聖職論」に拘って、教員の労働環境の改善を怠ってきたために、教員志望者は減り、教員不足は深刻化し、学校は崩壊寸前になっているのだ。日本の教育を推進すべき文科省が、日本の教育を崩壊に導いているのである。

もう、不毛な過去の亡霊のような思想に拘らず、現実を直視すべきではないか。


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