全中大会って必要ですか?!ー読売新聞の記事について


 7月29日の読売新聞に一面に大きく取り上げられた特集記事が掲載された。「クラブで参戦 試行錯誤」という内容である。いわゆる「部活動の地域移行」に合わせて中体連が、全中への参加資格を加盟校単位から、地域のクラブの出場も特例として認めるとしたことによる課題を探った意欲的な記事である。敬意を表したい。そこで浮かび上がった課題を表したのが、「試行錯誤」という表現である。取材をしたのは、新潟県。早くから地域移行に積極的に取り組んでいた県での全中県大会の様子を書いている。
 まず、成果としては、自校にない部活動でもクラブがあれば参加できるということで、生徒達の自己実現の場が増えたこと、そして、教師の引率という負担が軽減されたことが挙げられている。課題としては、「不公平感」と題して、
①クラブとしての参加可能ということが周知徹底されていなかった点(これは頑張って周知しましょう!)
②学校単位では、個人戦しか出ることができない場合があるが、クラブだと団体戦に出ることができる。だから、来年はクラブから出たいという生徒がいる。
③競技ごとでクラブチームの参加条件に差異がある。例えば、
 1)陸上はリレー種目で「メンバー全員が同じ学校に在籍している場合に限り、クラブで参加可」だが、水泳はリレー種目でも複数のメンバーで組むクラブの参加も可
 2)クラブの定義も軟式野球やソフトテニスは目立った条件は認めていないが、サッカーは「他のユースクラブに所属していないこと」を条件にしている。バスケットボールは、「地域移行を進めるために発足したクラブに限定」としている。
④トーナメント方式も新潟では、同じ土俵だが、静岡では学校単位とクラブ単位では別々のトーナメントを設定
と課題はかなりありそうだ。

 このような不平等感や不公平感はなぜ生まれるのだろうか?私に言わせれば、まだまだ「勝利至上主義」から抜け出せないでいるからだ。平等な競争をさせることで勝者を決定するということを目的にしている限り、「不平等じゃないか」「あんな強豪ばかり集めたクラブが参加していいのか!」という声は、当然出てくるだろう。なぜ、そんな声が出てくるのか。それは勝者には全国中学校体育大会への参加資格が得られるからだ。これが、勝利至上主義の温床になってくる。
 また、私立高校を中心に素晴らしい成果を上げた選手を獲得し、学校経営に寄与させようとする。私は、昨年まで務めていた附属中学校で、スポーツ推薦で進学する生徒たちを初めてみたが、「本当にこれでいいのか?長い人生を考えて、本当にスポーツで飯が食っていけるのか?」と大きな疑問を持ち、進学先が決まった親が喜ぶ姿に、同じように喜びを感じなかった。このことについては、また別の場でしっかりと書きたい。

 さて、どうすれば良いか。まずは全中を廃止しよう。心身共に発達段階にある中学生が、全国大会で、そして全中参加に向けて競い合うこと自体に意味がない。長い人生の中で、たまたまその時に素晴らしい成績を修められただけで、高校・大学・社会人となっていく中で、努力の結果素晴らしい選手になった人は山ほどいる。また、成長過程で一定の成果を出そうと無理をしてしまい、故障やけがをして、一生競技を続けられなくなることも考えられる。全中がある限り、
        地域で一番→県単位で一番→全中参加へ→そして全中で勝利!
という勝利至上主義のゾンビはいくらでも生き返る。

 そこで、提案したい。まず、学校単位でもクラブ単位でも参加できるようにする。チームで参加する競技には、リーグ制を導入する。そして、1部・2部といった部制を提案したい。トーナメント方式は負ければ終わりである。まだまだ学習過程にある中学生にとって、負けることによる学習を次に生かせる機会が、トーナメントには無い。だから、リーグ戦を提案する。そうすれば、強豪チームは強豪チームなりに互いに切磋琢磨し合えるし、そうでないチームも勝つために何が必要なのか、自分たちの強み弱みを振り返り、次に生かせる場ができる。そして当然、部の入れ替え戦も実施すればより励みになるだろう。このような方式を取り入れている高体連の競技部会はいくらでもある。
 更に、個人競技については、記録会をベースにすることで、「自己との闘い」とするのが良い。水泳でも予選は、ほぼ記録会である。決勝レースは当然やっても良いが、県大会止まりにして全中への参加を争うことは止めたほうが良い。全中参加標準記録もいらない。

 これから部活動の地域移行が本格的に行われることになるが、「部活動とは何か?その教育的意味は何にあるか?」ということを真剣に議論してほしいと思う。とにかく、心身の発達途上にある中学生の段階で一つの競技で全国一をめざすことは、教育的ではない。中学生の時期には、様々なスポーツを経験し、自分の発達の可能性を模索するのが良い。日本の社会の性急さが、少年を蝕んでいることを大人も自覚したほうが良いだろう。


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