ラーケーション!

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 5月26日の読売新聞の「言わせて 聞かせて」にラーケーションの事が取り上げられていた。ラーケーションとは、ラーニングとバケーションを組み合わせた造語で、昨年9月に愛知県で最初に導入された。年3日を上限に、学校を休んでも欠席にならず取得日や目的を届ければ、家族と旅行したり、料理に挑戦したり、過ごし方は自由という制度。教員の負担にも配慮し、休んだ日の学習は自習だそうだ。この記事を書いた南暁子記者が言うように、「病気などやむを得ない理由が無ければ休めない」と考える世代については、驚きだ。いや、驚きではない。実は、20年以上も前から、親が子どもを休ませる理由に「ディズニーランドに行きますので、学校休みます」とか、バブルの頃は、「外国旅行に行くので、〇〇日まで学校に行きません。この時期の飛行機代が安いので」というような、教師からすると「???????・・・・・」と「?」をいくらつけてもつけきれないような理由で、平気で学校を休む生徒、そして休ませる親がいた。

 記事に紹介されているのは、豊川市の電器店の家庭の例だ。親の休暇が火曜日と第3日曜しかないので、家族で遠出ができない。この制度を利用して奈良に1泊2日で出かけた。子どもたちにとっては、ホテルに泊まることができて、すごく喜んだというのである。茨城県や栃木県日光市も始めているらしい。そこで、茨城県がどのように言っているか、ググってみた。こんな感じで書いている。

これからの社会では、自己の在り方や生き方を考えながら、課題を発見し解決していくことのできる力が求められます。そのような力を身に付けるためには、地域に出かけたり、多くの人と出会ったりする体験的・探究的な活動を通して学んでいくことが有効です。また、自己の在り方や生き方を考えるためには、家の人とゆっくりと話をする時間も大切です。思いや悩み、不安について家族と一緒に考えることで、これまでの生活を振り返り、今後を見つめる良い機会になります。
児童生徒が家の人などと一緒に、そのような時間を取ることができるよう、茨城県が設定したのが年間最大5日間の「ラーケーション」です。


そして、体験例として次のような内容が例示されている。
★平日ならでは 水族館や博物館に行こう
★気分は研究者 レポートを書いてみよう
★学校体験 普段の様子を見に行こう
★職場体験 やりたい仕事をやってみよう
★自然の中へ 創作活動をしてみよう
★再発見 地域の歴史を調べよう


かなり「ラーケーション」の「ラー」が強調された事例だ。茨城県の場合、今回のように家族で奈良旅行は認められるのだろうか。おそらく、認められるだろう。なぜなら、線引きが無理だから。家族で観光旅行でも、家族と日頃話せないことを深めるということでは、意味がある(多少はと言いたいが)。だから、茨城県の例示した内容は、あまり意味がないのではないか。実際、この記事にも「ラーケーション」の制度の無い宮崎市の理学療法士の方の例として、学校を休ませて京都に約10回行った例が示されている。学校にはプリントをもらって勉強に遅れが出ないようにしたらしい。SNSにあげたところ、「教員の負担を増やすな」と批判も相当あったということだ。当たり前だろう。

 さて、このラーケーション。古い世代から見ると、「休みたければ、勝手に休めば良い。自己判断、自己責任でしょう」と思ってしまう。価値観の多様化だ。その家庭にとっては、学校での勉強よりも家族旅行に価値があったのだ。だったら、勝手に学校を休めばよいではないかと思う。今までもそんな例はいくらでもあった。学校は欠席にならないというが、授業を受けられないことに変わりはない。通知表や指導要録に欠席が付かないだけだ。
 しかし、この制度、どうも広がりそうだ。そこで、提案である。「ラーケーション」と銘打つ限り、「ラー」をきちんと担保しなければならない。「ワーケーション」でも、きちんと「ワー」はしているのだ。そのためには、
①「ラー」を位置づけた限定した内容であること。つまり、申請する段階できちんと審査すること
②「ラー」を終えた後に本当にきちんと「ラー」を終えたかどうか、子どもに(小学生には親にも)レポートの提出を義務つけること
③通知表にも指導要録にも「ラーケーションによる欠席〇日」と明記すること
である。また、教員の仕事は増えてしまうが、これがなし崩し的に広まると、いくら休んだところは自学自習とはいえ、授業の成立が危うくなりそうだ。ハードルを高くする必要がある。茨城県が例示している内容にほぼ限定して、「ラーケーション」を実施してはどうだろうか。

しかし、保護者に弱い教育委員会は無理だろうけどね。


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