ファン心理がわからない


 将棋で7冠を達成した藤井聡太氏が、ベトナムで対局をしている報道があった。そのニュースの中で、わざわざ日本からベトナムまで応援のために出向いた中年女性が登場していた。お昼ごはんでは、藤井氏が注文したランチと同じメニューを頼んでいたが、どうもこの心理がわからない。日本からベトナムまで行こうと思うと、金も時間もかかる。これがファン心理なのだろうか?ニュースを見た感じ、その中年女性は将棋に精通しているようには見えなかった。どちらかと言えば、そして誤解を恐れず言えば、「追っかけ」という言葉が、一番適しているような感じだった。
 10代の若者が、アイドルの熱狂的なファンになることはよくある。自分が求める理想像であったり、自分が求める異性の理想像であったりすることが多い。それは、それで未発達な10代の若者の心理として理解できる範疇である。だが、学業までもなおざりして、「追っかけ」するようでは、それはもうある意味心療内科の範疇を想定した方が良い。また、最近ではリアルなアイドルではなく、バーチャルなアイドルに夢中になる若者も少なからずいる。その対象となるのが、私でも名前を知っている「初音ミク」だが、もうこのレベルになると、もう理解できない。
 少し、自分を振り返ってみよう。私の10代のころには、郷ひろみ見ていた。このようなアイドルに金と時間をかける熱意はなかった。そんな私でもファンになったと言える最初や西城秀樹、山口百恵、桜田淳子などのアイドルが登場していた。中学生のころには、これらのアイドルに熱を上げる同級生もいたが、私は冷めて見ていた。このようなアイドルに金と時間をかける熱意はなかった。そんな私でもファンになったと言えるのは、中島みゆきと出会った時だっった。最初に「化粧」を聞いたときは、心に刺さるものがあった。恋人と別れるときの女性の心理を歌った曲だが、なぜか心に刺さった。中島みゆきが織りなす世界に惹かれていったことを思い出す。それでも、金と時間をかけてコンサートに行ったり、ましてや追っかけすることなどは一切なかった。
 次に、ファンになったというより、私の人生に多大な影響を及ぼしたのは、「竜馬がゆく」(司馬遼太郎作)である。当然小説の主人公である竜馬にも惹かれたが、幕末に登場する志士たちの生き様に心を打たれた。武市半平太、久坂玄瑞、中岡慎太郎、高杉晋作などは、とても惹かれる存在であった。京都の東山にある護国神社の維新の道には何回も出かけたことを思い返すと、「追っかけ」に近いかもしれない。ただ、「追っかけ」とは明らかに違うのは、自分自身が「生き方」に悩んでいたからだ。この「生き方」の悩みが、幕末に自らの命を懸けて生き抜いていった志士たちの生き様に答えを求めようとしたのだろう。自分の命さえもかけてよいと思えるものを探し求めていたと言っていい。
 昨日のニュースで、ベトナムまで出かけた中年女性は、藤井聡太氏にいったい何を求めているのだろう?わからない。


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