4月25日の読売新聞の解説欄に、デジタル教科書の問題が掲載された。3人の識者が見解を述べている。言語脳科学の専門の東大の酒井教授、AIに関しての第一人者の国立情報学研究所の新井教授、そしてフィンランドのアンデルス・アドレルクロイツ教育相だ。3人とも、デジタル教科書には懐疑的で、紙の教科書の優位性を主張している。デジタル教科書は、教材で十分であるという事だ。
以前から、学識経験者を中心に、デジタル教材を教科書に引き上げることについては、疑問が投げかけられていた。学力の向上、特に全ての教科の学習に通じる読解力の向上については、デジタルよりも紙の優位性が主張されているのだ。特に、デジタル先進国であるフィンランドのPISA結果の低下は、国家レベルのデジタル教科書の社会実験の結果、紙の教科書への回帰が起こっていることを真剣に検討しなければならないだろう。
と、書きながら思ったことは、こういう論点は中教審できちんと議論をすべきことである。ところが、中教審ではほとんどこのような議論が行われていない。なぜなら、デジタル教科書に関する議論をしている中教審の委員が、全員デジタル教科書の推進派だからだ。これでは、何のための中教審かわからない。様々な論点を整理し、議論を活性化するためには、デジタル教科書の推進派の委員も慎重派・反対派の委員も必要なのである。それが、推進派しかいないのである。これでは、単に、文科省の官僚の意見を通すためのスケジュールをこなしているだけである。
デジタル教科書の導入は、子どもの学力形成に大きな影響を及ぼす。禍根が無いように、国レベルで真剣に議論をしてほしい。今の中教審では、このようなことを期待しても意味がないだろう。
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