スマホの使い方指導、これも学校の仕事?


 読売新聞「情報偏食-揺れる教育現場5⃣」は、スマホの使い方に関してだ。スマホ依存が激しく、地域の学力低下が問題になっているため、地域ぐるみでスマホの使い方のルールを決める例が紹介されていた。全国的に、校区レベル、市単位でスマホのルールを決めるという取り組みが進んでいる。生徒たち自ら考えさせるために、生徒会が中心となって連携しながら行う取り組みもある。一定の成果を挙げていると言えるだろう。
 それにしてもである。スマホの使い方は、家庭の課題であるというのは、もう古い考えなのだろうか?記事の最後の方で、家庭でルールを決めている例が紹介されたが、記事全体の傾向は、学校を中心とした取り組みの紹介になっていた。ある意味、もう家庭にスマホの使い方の指導を求めても虚しいというのが現状か・・・と思ってしまった。親である大人自身が、スマホの使い方ができていないのが現状なのだから。通勤電車に乗っていても、本や新聞を読んでいる人はほとんど見かけない。大部分の人が、スマホに視点を落としている。このような状況で、子どもに自己管理を求めるのは、なかなか難しい。
 記事には、読書活動が紹介されていた。国語の時間を活用した「精読」の取り組みである。スマホで行うSNSのやり取りは、短文で終わる傾向があるため、評論や小説などの長い文を読む指導は重要であると、以前から指摘をされていた。2回目の「それにしても」である。あまりにも学校教育に頼りすぎていないか?教育を行うのは、学校・家庭・地域である。学校以外のシステムが十分に機能していないがゆえに、子どもの成長に関する課題が、学校の肩に大きく圧し掛かっているように思う。
 現在、教員の働き方改革が進められようとしているが、単に教員の処遇改善をすればよいという問題だけでは済まされない。同時に、学校の肩に圧し掛かってきた様々な教育課題を家庭及び地域と分担しなければ、「学校が行わなくなった教育を誰がするのか?」という問題が新たに発生する。しかしながら、今回の中教審への諮問で、そのような議論が行われるのかどうかは、不透明極まりない。学校のブラック化で、教員不足が深刻化するなかで、学校さえも教育機能を十分に果たせなくなりつつあるのに・・・と思う。


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