ギャルになるには親の許可?


 頑張って朝ドラ「おむすび」を見ている。もう、朝ドラを録画して観るのは、生活の一部になってしまった。今の朝ドラの「おむすび」は、早々にリタイアした方が多くいるようだ。そりゃそうだろう。前作の「虎に翼」と比して、あまりにも軽いからだ。しかし、この軽さが良いという人もいるらしい。「虎に翼」は、「朝から重たすぎる」という人もいたのだから、日本人のレベルもアメリカのトランプ支持者レベルに近づいてきたのかもしれない。何かにつけ、深く考えようとせず、その場その場の目の前の出来事を感覚で判断する人が増えたと言える。要は、日本人も幼稚化しているということだ。

 今週は、とうとう結が「ギャル化宣言」した。姉の歩との確執も、歩が神戸の友人で震災で亡くなったマキちゃんへの思いを語ることで解消した。その結果が、「ギャル化宣言」である。これも自己実現の一つだろうと評価することもできる。しかし、ギャルになる多くの少女たちは、徐々にギャル化していくのではないだろうか。学校の規則すれすれの髪形をしてみたり、ちょっと口紅っぽいリップを付けてみたり、ワンポイントアクセサリーを付けたり、髪をくくるゴムの色を派手目にしてみたり・・・と。そして、ある時髪の毛を茶髪、金髪に染めて、ギャルの化粧をしだす。というのが、一般的なギャル化だろうと思うのだが、おっさんの言うことは間違っているだろうか。

 ギャル化は反抗期の現れでもある。それは、親への、学校の教師への、そして社会への反抗である。それを、結は「ギャル化する」ことに親の許可を求めていた。お父さんと姉の歩との関係を考えて、お父さんの許可を得る必要があったと思った結の優しい気持ちであるともいえるが、「ギャル化するのに、親の許可要るの?」と思ってしまう。

 そんなことを考えながら、朝食を食べながら新聞を読んでいると、人生案内に娘との距離感に悩む父親の相談が掲載されていた。娘は父親に一切口をきいてくれない、いわゆる生活上の「業務連絡」までできないという相談だ。思春期の娘を持つ「あるある事象」である。これが一般的な事象だろう。そう考えると、結の行動は、可愛いもんだ。
 
 ところで、「おむすび」の主人公は結だが、姉の歩の方が興味を惹かれる。ハギャレンの総長をしていた高校時代、家を出て東京に行ってからの生活、女優の端くれのような仕事をするにいたった顛末、などなど・・・こちらの方が人生波乱万丈で面白そうだ。


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