2030年度から開始される次期学習指導要領の素案が示されている。その中の一つにカリキュラムの「柔軟化」がある。各校の判断で教科ごとの授業時間を増減でき、子どもの実態にあわせて授業を進めやすくする狙いだ。
実際、9月12日の読売新聞の解説面には、小学校の児童の実態を35人学級に当てはめた場合が図式化されている。
*学習面や行動面で著しい困難を示す→3.6人
*不登校傾向→4.1人
*不登校→0.7人
*日本語を家であまり話さない→1.0人
*特異な才能がある→0.8人
となっている。
不登校と「ギフテッド」と呼ばれる特異な才能のある児童生徒には、個別の指導計画を作り、評価する仕組みを文科省は新しく設けるらしい。このような仕組みとは別に、各校の独自の判断で、教科の授業時間数を増減できる新制度を打ち出す。この制度について、学校の実情に合わせてカリキュラムを編成する裁量が与えられるという意味では、良いシステムであると言えなくもない。しかし、その一方で以下のような問題もある。
第一が、教科内容の精選である。現在の小学校5年生の年間の総授業時数は、1015コマだ。しかし、実際のコマ数平均は1059コマで、44コマ多い。コマ数を確保しなければ教科書が終わらないという実態があるのだ。文科省は「子どもの学びがもっと豊かになり、力がつく方向で指導要領の目標、内容を見直す。削減という事ではない」と説明しているらしいが、このような姿勢で、教科内容の精選は、うまくいくのだろうか。文科省には、「ゆとり教育」と題して、教科の内容を3割削減し、学力低下を招いた苦い経験がある。文科省も及び腰ではないだろうか。
学校での授業の内容を精選(=削減)して、豊かな学びをめざそうと思えば、学校の時間以外の子どもの学習を充実しなければならない。デジタル端末やスマホを使う時間が増えて、学習時間が減少しているというのに、果たしてそんなことは可能だろうか。「ゆとり教育」の時のように、塾が繁栄するという皮肉な結果にならないかと思う。
第二が、果たして校長も含め、学校現場がこの制度を使いこなすことができるのかという問題だ。読売新聞には、千葉大学名誉教授の天笠茂氏のコメントを載せている。
「新制度の裁量を使いこなすには、学校や教員の質向上が欠かせない。学校ごとに学習環境に差が生じる可能性があり、共通的な底上げのための施策も必要だ」
と指摘している。その通りだろう。私の感触では、この制度を使いこなせる学校はそんなに多くないと思っている。ある学校で導入した施策がうまくいったからといって、それを自校に安易に導入して失敗するケースが多発するのではないかと思うのだ。
重要なことは、校長を中心に管理職の学校経営能力が試されるという事だ。自校の状況をエビデンスに基づき分析し、次の一手を打ち出すために何が必要なのか、そして、その一手にこの制度を使う必要があるのかないのか、あるとすればどのように使うのか、極めて高い経営能力が問われていると思う。
2030年からの学校現場では、学校間格差が広がりそうな予感がする。
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