なんで弥縫策ばかり?


 6月25日の読売新聞によると、文科省がバブル崩壊時に教員志望ながら教員試験に合格しなかった人を、積極採用するように通知を出したという記事が掲載されていた。確かに、現在進行形の教員不足の解決策の一つだろう。しかし、それは、ものすごく小さい解決策なのではないだろうか。

 あのバブル崩壊後の就職氷河期は、確かに凄まじかった。とんでもない状況であった。しかし、当時から30年が経過し、その間も人は食っていかなければならないのだ。運よく正社員に採用された方もいただろう。その一方で、未だに非正規雇用でなんとか食いつないでいる人もいるのではないか。こんなことを考えると、バブル崩壊後の30年を生きてきた人が教壇に立って、子どもたちに自分たちの生きざまを語ることは、とても教育的意義が大きいと思うのだ。VUCAの時代の生きた証言者でもあるのだから。各自治体は、積極的に採用してほしいと思う。

 ただ、冒頭にも書いたように、「教員不足の解決」という視点で見れば、小さな解決策でしかない。何故文科省はこのような弥縫策しか考えないのだろうと思う。現在の教員不足の最たる原因は、学校現場で働くとワークライフバランスが保てないということなのだ。これが第一の原因なのである。だから、文科省は、学校現場の働き方改革を進めなければならないのだが、そのベクトルがまるで違う方向を向いてしまっているのだ。つまり、都道府県自治体や学校現場に丸投げなのである。上から言えば、学校現場の働き方改革は進むと考えている。その裏には、「教員は無駄な働き方をしている」という考えが、文科省にあるから、このようなことをするのだ。

 文科省の行うことは、学校現場の働き方改革が進むように「人を増やすこと」「教師が授業に向き合えるようにすること」なのである。なぜ、この本丸を避けて、弥縫策ばかり並べるのか、理解に苦しむ。


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