何がしっくりこないかというと、妹尾氏の意見である(最後に妹尾氏の意見のリンクを掲載)。妹尾氏は、今回の中教審答申が給特法の廃止などに踏み込んでいないという反対意見があることに対して、「給特法以外の方策や環境整備にも注目していく必要がある。給特法だけで解決できるほど簡単な問題ではない」と見解を述べている。確かにそうだと思う。教員の働き方改革は、様々な要因が絡み合っているため、給特法が廃止されたからといって、全てがばら色になるわけではない。
さらに妹尾氏は、今回の中教審の答申の目的は、「優秀な人材の確保」であるという。これも賛成だ。そのためには、
1.多忙の解消
2.意義のある仕事に集中
3.処遇が良いこと
が必要であるという。これも賛成だ。そこで、妹尾氏は中教審でも示されている①学校以外が行うべき業務②必ずしも教員が行わなくても良い業務③教師の業務だが負担軽減が可能な業務の推進をすべきと主張している。妹尾氏いわく、
「『教職調整額を10%に上げるといった小手先ではなく、教員の業務をもっと減らしてほしい』『文科省は方針を示せ』という批判があるのだが、以上の経緯を踏まえると、やや的外れかと思う。文科省が悪いというよりも、教育委員会で施策化、予算化できていない問題や、保護者のことを気にしすぎて校長が働きかけをしていない問題にも目を向けるべきだ。」
と述べている。私は、この①~③に関しては、教員の仕事の「仕分け」だと考えている。確かに、「仕分け」は大事だ。学校は、地域や保護者の要望に善意で答えすぎて、業務が肥大化している面が多分にある。そういう意味で言うと、この「仕分け」にも重要な意味がある。しかし、その「仕分け」にも限界があると、私は思う。業務自体をやめてよいのなら、それで解決するだろう。しかし、学校以外が行う業務や必ずしも教員が行わなくてもよい業務については業務自体が残るわけで、その業務を担うために「ヒトとカネ」が必要になるのだ。スクラップさせるだけなら、簡単な話だが、業務を移行させるわけだから、それを担う人材とコストがかかることになる。そうでなければ、「仕分け」は進まない。「仕分けを進めるためには、更なる人材とコストが必要である」と妹尾氏は言うべきではなかったかと思う。
そして、この「仕分け」を進めるために、どうしても必要なことは、保護者と地域の理解であろう。教職調整手当を4%から10%に引き上げて、果たして理解は深まるだろうか。「手当が上がったのだから、先生がやってください」という意見が出ないとも限らない。誰が業務を担うのかとなったとき、し烈なせめぎあいが起きそうである。
最後に、あまりいろんなところで論じられていないので、あえて言うが、教員の残業時間にも濃淡があるのだ。定時で退勤する教師もいれば、仕事が集中して遅くまで残業する教師もいる。定時で帰っている教師にとっては、仕事も増えずに、給料が増えるのだから、ホクホクだろう。しかし、仕事が集中している教師にとっては、たとえ10%になっても労働に対する正当な対価が払われていない懸念がある。「処遇が改善すること」の一番大事なことは、労働に対して正当な対価が支払われることではないかと思う。
広島県加計高校のブログでも書いたが、魅力ある教育をするためには、そして魅力ある教員を確保するためには、もっと資源を教育に投入する必要があるのだ。「仕分け」を求める自助努力だけでは、限界がある。この点が、妹尾氏の意見で、しっくりこない点だ。
なぜ教師は「魅力的な職業」ではなくなったのか、優秀な人材確保のための3条件
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