だから、岸田は支持されない!


 7月3日、旧優生保護法に関する最高裁判決が出た。原告全面勝訴の判決だ。これほど、スカッとする判決が出たのは久しぶりではないかと思う。言わずもがなの事であるが、旧優生保護法ほど、人権侵害が明白な法律も珍しい。最高裁が法制定の当初から違憲性を指摘したのも、当然だろう。この判決を伝えるニュースの中で、北海道で「障がい者を産ませない運動」のようなものが白黒映像で報道されていたが、とんでもない時代であったのだと、改めて考えさせられた。
 この法律が、1996年まで施行されていたこともびっくりである。1996年と言えば、私は36歳。すでに教壇に立ってから10年以上が経過している。その間に何人もの障がいがある生徒たちと関わってきた。大阪府の「共に学び、共に育つ」という理念のもと、障がいのあるなしに関わらず、共に生活する社会を大切にしようと教えてきたのである。しかし、国はその真逆の法律を作り、施行していたのだ。このことを考えると、恐ろしさを感じる。多くの人の脳裏に、この法律に絡んで相模原障害者施設殺傷事件が浮かんだのではないだろうか。事件を起こした犯人の考え方も、この法律の成立根拠も根は同じだからだ。

 争点は、①憲法違反かどうかと②除斥期間の適用を認めるかどうかだった。特に②については、高裁での判断が分かれており、「時の壁」と言われる除斥期間の取り扱いが大きな争点であったが、最高裁は「適応せず」と判断した。これほどの朗報は無いだろう。最高裁、よくやった!と喜びたい。この判決を受けて、岸田首相は、コメントを発表した。
「重く受け止めている。政府としても、旧法を執行していた立場から、真摯(しんし)に反省し、心から深くおわびする」
というものだ。それなら、なぜ高裁判決に対して控訴したのだと言いたい。地裁―高裁という判決が出て、違憲判断が示されていく中で、和解という判断もあったはずだ。裁判で国が負けた段階でのこのコメントは、原告はもとより国民には響かない。高裁判断が示された段階で、国は政治判断として和解すべきだったのだ。そして、岸田が首相になってからでも控訴を取り下げると言えば良かったのだ。そうすれば、国民は「よくぞ、決断した!」と首相に拍手を送るだろう。何が「聞く力」か!それさえも持ち合わせていない上に、判断力も無ければ実行力もない。国民が見放すのも当然だろう。


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