1月22日、千葉県教育委員会は、おととし自ら命を絶った女子高生に関する第三者委員会の調査報告を発表した。千葉県教育委員会のwebpageに掲載された報告を読んで、「とんでもない高校、未だにこんな高校はあるのか!」と驚きと怒りを覚えた。と共に、千葉県教育委員会の認識の甘さを指摘したい。webのリンクは以下に掲載する。
どれだけ「とんでもなく、ひどいか」以下に示したいと思う。
リンク先
「生徒の自殺に係る第三者調査委員会」の調査結果を受けた県教育委員会の対応について
(1)英語教師の対応
事の発端は、英語担当の教師の授業にある。この英語教師は、「生徒を起立させて答えられるまで座らせないという授業スタイル」をとっており、千葉県の評価は、「仮に起立させている時間が短かったとしても、生徒の羞恥心をいわば利用するような側面が否定できず、適切ではない。」という評価だ。当たり前だろう。この他にも「亡くなった生徒以外にもアンケート調査に『こんなの小学生でもできる』と言われたこと等を記載した生徒」がいることが記載されている。亡くなった生徒は、「授業評価アンケートには、生徒を侮辱する発言に対する当該教諭への抗議と、改善がなければ教育委員会に相談するという 記載があった」という。
この教師に対する評価として、千葉県教育委員会は、「生徒に屈辱感を与えていたのかもしれないという可能性を検討すらしなかった点は、教師としての意識の低さと指摘せざるを得ない。」と指摘しながらも、「同教諭があえて生徒達を侮辱しようとしていたとまでは考えにくい」と評価しているのである。ちょっと待て!高校生に対して、「こんなの小学生でもできる」という発言は、明らかに生徒を侮蔑しているだろう。「あえて生徒を侮蔑している」のだ。教育委員会やこの第三者委員会の認識はおかしい。
さらに、授業評価アンケートに問題点を生徒から指摘されているにも関わらず、改善しない姿勢は、「教師としての意識の低さ」という問題以上で、私が校長なら毎回授業見学を行い、授業改善ができるまで指導を続けるだろう。それほどの酷さである。私がともに仕事をした教師たちは、授業アンケートでほんの些細な指摘があっても、授業を改善していた。それほど、生徒に真摯に向き合っていた。
後述するが、この授業アンケートを管理職が見ていないというのが信じられないことだ。
(2)担任教諭
亡くなった生徒は、いじめアンケートに「みんなの前で恥ずかしい思いをするので英語の授業に出たくないこと等を記載」していた。千葉県教育委員会では、この件について、「当該教諭は、いじめアンケートへの記載内容から、当該生徒と英語教諭の間の確執について認識していたはずである。」と記載されている。「はずである」というのは、どういうことか。認識していたかどうかの確認をしていなかったのか。まずは、事実確認をしてから、評価を下すのが第三者委員会の役割でもあり、教育委員会の指導の在り方でもある。もしかしたら、この担任教諭は、「いじめアンケートの内容を読んでいなかった」ということも可能性としてあるのだ。読んでいて問題を認識できない能力と資質の低さも問題だが、読んでいないということも非常に大きな問題である。この事実認定を怠っているとしたら千葉県教育委員会にも大いに問題がある。
担任教諭が、いじめアンケートを読んでいない可能性は、次の対応からも考えられる。すなわち、
「指導の際には、当該生徒の言い分を丁寧に検討したり、授業のストレス等による体調不良の可能性を考慮して、体調を確認したり、心配することもなく、また当該生徒が繰り返し訴えていた英語の授業の問題に言及せず、むしろそれに適応できない当該生徒の在り方を非難する言動を示し(突き放すような言い方等)、一方的に叱責してきたと当該生徒が捉えたとしても致し方ない状況であったと思われる。」
である。
こんな教師だから、当該生徒が、指導の翌日に欠席し、生徒本人からの欠席連絡があったというだけで、保護者への欠席確認を入れていないのだ。(この学校では、必ず保護者に確認すると決めているにも関わらず)担任は、この生徒がどんな状況であったのかまるで無関心である。このような対応のため、保護者は生徒が学校を欠席していることを知ることができなかったのだ。
(3)連携がない教職員集団
教育委員会の記載には、次のようにある。
「本件において、一部の教員だけで対応がなされ、結果として管理職に情報が伝わっていない、周囲の教員も知らないという状況が生じていた。ヒアリング調査において、『他の教員のやり方はよく知らない』、『意見を伝えても聞き入れられない』といった内容も語られ、教員間の風通しのよくない状況があったことが示されている。」
とんでもない学校だ。まるで、教員の連携ができていない。学年会議で、担任がこの該当生徒の事を情報共有すれば、もしかしたら国語教師も作文に目を通したかもしれない。報告書では、作文に目を通さなかった国語教師に多くの記述がみられるが、問題の本質は、情報共有がなされていない教職員集団にある。この問題にもっと焦点を当てるべきだろう。千葉県教育委員会は、問題の本質がわかっていない。
(4)管理職の問題
報告書には、
「本件では、英語担当教諭の授業スタイル、当該生徒の「いじめアンケート」での訴え等、管理職に情報として伝達されていなかった実態がある。本来であれば「授業評価アンケート」や「いじめアンケート」の内容は、管理職に届いているはずであるにも関わらず、きちんと伝わっていなかった。また、アンケート等の仕組みはあるにも関わらず、その運用において適切に扱われなかった。」
と記載されているが、これは、管理職の資質の問題だ。校長ならば、いじめアンケートや授業評価アンケートの記述には、全て目を通す。「管理職に届いている」ということではなく、管理職が教員に指示をすることで、「持ってこさせる」のである。そのことを怠っていた管理職に大きな問題がある。
管理職は、アンケートはなんのために実施しているのかということを見失っている。生徒の声にきちんと耳を傾けていれば、早い段階で適切な対応ができていたのではないか。この高校の管理職は、一体何をしていたのかと思う。怒りで腹が煮えくり返る。
亡くなった女子生徒を救う機会はいくらでもあった。英語教師、担任教諭は、もう教壇を去るべきだ。一生、自分がこの生徒に行った罪を背負って生きていくべきだ。管理職も無能である。即刻、管理職を降格すべきだ。管理職を担う資質も能力にも欠ける。千葉県教育委員会も、いじめアンケート、授業評価アンケートに関しては、管理職はすべて目を通すこと、教職員間の情報共有、連携強化を行うことを厳に指導すべきだろう。紙切れ一枚の通達をして、済む問題ではない。千葉県の教育を揺るがす大きな問題だ。
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