今日は、阪神淡路大震災発生から30年の日である。ニュースも新聞も阪神淡路大震災の報道がされている。今朝のニュースでも追悼式で涙を流す人たちが報道されていた。30年経っても、神戸の人たちにとっては、あの日の出来事は昨日のような出来事なのだろう。時間が心を癒すというよりは、時間が失ったものの重みを積み重ねていくということなのだろうと思う。校長をしている時、この日が来るたびにあの日の体験を校長ブログに載せてきた。大阪の八尾市で住んでいた私でさえ、あの揺れでなすすべもなく立ちすくんだのだ。子供が寝ている二階に駆け上がると、倒れた机の間で子どもは寝ていた。辛うじてけがをせずに済んだと思う。
1月9日に勤めている学校で「南海トラフ地震について学ぼう」という臨時の特別活動を2時間実施した。冒頭に、「みなさん、1月17日に何があったか知っていますか?」と問いかけたが、ほとんどの生徒はぼーっとした表情で、何を問われているかわからない様子だった。30年、今の高校生は当然この阪神淡路大震災を経験していない。大阪の隣で起こった都市直下型地震なのに知らないのだ。この大地震をどのように伝承していくのか、30年経った今はそのことが課題となっている。そして、今後30年に起こる確率が80%に引き上げられた南海トラフ地震への備えをどうするのかということと関連して語られなければならない。
学校の防災訓練は、阪神淡路大震災、東日本大震災と続いた災害で、火事の発生から地震対策へと大きく変化した。未だに火事発生の避難訓練をやっているような学校は、学校の経営者、管理職の資質が問われる。肝心なのは阪神淡路大震災の伝承を如何に行い、南海トラフ地震への備えをどのようにするのかということだ。
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