「風評被害」とはなにか?


 現在、福島にある東京電力の原発事故により発生した処理水問題がクローズアップされている。漁業に携わる人たちからすれば、「風評被害」で魚が売れなくなるということがとても心配で、処理水の海への放出に反対している。政府は、国際組織であるIAEAにも処理水の分析を依頼し、国際的基準以下に処理されているという「お墨付き」を得た。しかし、中々収まらない。更に、中国と韓国の左派政党は、この処理水の放出を政治利用し、反日の道具にしている。彼らは、科学的根拠なく、処理水を「核汚染水」と呼び、その「危険性」を流布している。以下のサイトを見れば、科学的には一切問題が無いと思われる。是非訪れてほしい。今回処理水に含まれる核物質であるトリチウムは、無害化する周期が他の核物質に比べて短く、何万年もかかるものではないと言われている。月単位で無害化するのである。なのに、なぜ「風評被害」が起こるのか。
 私は、この「風評被害」については、宗教と大きく関係していると思う。「えっ、宗教?、仏教やキリスト教?日本人ってあまり宗教に影響を受けて生活していないよね」と思うかもしれない。しかし、日本人には日本人独特の宗教観を持っている。それが、「逆説の日本史」を執筆している井沢元彦氏が提唱する次の4つである。
    「言霊、和、怨霊、穢れ」
もうお分かりだと思うが、この4つの中で、日本人の宗教観、そして生活レベルにまで影響しているのが「穢れ」である。日本人には、「清めと穢れ」という感覚が根強くある。よって、科学的のは何も汚れたりしていないものにも「穢れ」を感じ、何か不吉な感じがすれば忌避するのである。公明党の山口代表が「放出は海水浴シーズンを外した方が良い」と発言し、物議を醸したのもこの「穢れ」が背景にあると考える。もうこうなると、宗教観であるために科学的理屈は残念ながら通じない。議論をしてもいつまでも平行線だろう。あとは、風評被害に対する金銭的援助を行うことによる保障でしか解決しないのではないかと思われる。
 更に、日本人には、核アレルギーが他国よりも根強くある。これが、核廃絶に向かう平和への動きに結びついているときはいいのだが、一旦このような問題に結びつくと厄介と言わざるを得ない。日本の原水爆禁止運動もアメリカの核実験による第五福竜丸の被爆から、「魚が安心して食べることができない」という主婦の声から始まった。この運動の発端は、それなりに意味のあるものだと思うが、今回の処理水の放出と同類に扱うのは感心しない。もう、処理水をこのままにしておくのは限界なのである。IAEAまでお墨付きを与えたわけだから、また世界で反対しているのは、中国と韓国の左派政党だけなのだから、日本人も科学的根拠に基づいた判断をすれば良いと思う。
 こういう風に述べると、中国の王毅政治局員のように「安全というなら、飲料水にすればよい」という極端な意見が出てくるが、ここまでくればもう嫌がらせ以外何物でもないだろう。日本人にこのような意見を述べる人が出ないことを望むばかりだ。


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