「部活」を知りたい


 NHK番組「最深日本研究 〜外国人博士の目〜外国人研究者が見た驚きのニッポンとは!?」を見た。こんな番組があるのを初めて知ったが、読売新聞に番組紹介コメントが掲載されていたのだ。「アメリカの社会学者トム・ブラックウッドが研究するのは『部活』」
とあったのだ。なかなか面白い。ブラックウッド氏は、英語教師として来日して、「部活」に出会った。そして研究を進め、現在では教育社会学者として大学で教鞭をとっている。そんな彼の研究・フィールドワークのルポルタージュである。

 彼の目からすると、日本の「部活」は奇妙に見えるらしい。その疑問が、次の点である。
▽なぜ試合に出られなくても頑張るのか?
▽なぜ負けに意味があるのか?
▽マネージャーのモチベーションとは?
▽「青春」って何?

なかなか興味深かった。日本の学校では当たり前の風景になっていることが、外国の研究者からすれば奇異に見えるのだ。例えば、補欠メンバー。彼らは、試合の時にはベンチで、またはスタンドで大きな声を出してレギュラーメンバーを応援する。彼らは、試合には出ることができないし、技術の向上も豊富な経験もままならない。なのに、一所懸命に声を出す。部活動の自己実現や技術の向上という目的からすると、「合理的でない」とブラックウッド氏には映るのだ。言われてみればその通りである。
そこで、3700人を超える高校生へのアンケートを実施した結果、部活動で得たものとして、「思い出」とか「連帯」とか「一体感」や「友情」という言葉が並ぶのである。外国人の部活動をする目的と、日本人の高校生の目的には明らかに違いがあると、氏は結論付けている。その違いは、
①日本の公式戦の多くは、トーナメント方式で負ければ終わり
②試合に出ないマネージャーのモチベーションは?
と疑問が拡大するのだ。

 最も面白かったのは、「青春とは何だ!」という定義である。東京国際大学の留学生を相手に、「青春」とは何かと聞いたところ、海外には日本の高校生が感じているような青春に当たる言葉が見当たらないのだ。「思春期」とか、「何でもやりなさい」と言われる時期であるとか、無責任でもよいとか、それぞれ「青春」の一面を捉えていると言えるが、どうも私たち日本人にはしっくりこないのだ。海外には、日本の「青春」に当たるような概念が無いというのが面白い。

 日本の「部活」も転換点に来ている。中体連も全国大会の見直しを行っている。私は、成長期にある中学生にトーナメント方式の全国大会は不要と考えている。有っても、都道府県大会、〇〇地区大会で十分だろう。試合方式もトーナメントではなく、出場機会が多いリーグ戦を推奨する。補欠メンバーが出場しなくても意味を持たなければならないとか、負けることに意味を見出すとかは、日本の武道の精神を引き継ぐようで、近代のスポーツ精神とは異質なものを感じるのだ。

 この間の中体連の改革についても、小幅なものに限られているように思う。ブラックウッド氏の研究が、日本の「部活」を良きものに変えるよう貢献してほしい。


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