「終戦記念日」にあたり


 太平洋戦争が終わって、79回目の終戦記念日である。まず思うことは、以前にもどこかで述べた覚えがあるのだが、なぜ「終戦」なのかということだ。先の戦争では、連合国側に無条件降伏をしたのだから、「敗戦」ではないかとずっと思っている。この日を「敗戦記念日」とする方が、あんな馬鹿な戦争を起こし、何百万という犠牲を出し、日本をどん底に落とし込んだ戦争を二度と起こさない誓いになるのではないかと思う。ずっと、子どものころから「終戦記念日」だったから、最初は自然と受け入れてきたが、「失敗の本質」などの本を読んでいると、どれだけ日本のリーダーたちは愚かだったのかと思う。やはり、愚かな戦争を起こした戒めとして、「私たちは、愚かな戦争を自ら起こし、そしてみじめな敗北をしたのだ」ということを、毎年心に思い起こす日とする方が良いのではないかと思う。

 この時期になると、マスコミは太平洋戦争に関するニュースを流す。多くの世代が、もうあの戦争を体験していない中で、戦争とは何だったのかということを振り返る良い機会だと思う。二つの事を取り上げたい。一つは、特攻隊である。20歳前後の若者たちが、自分の命をかけて敵艦に突撃する特攻隊。これほど、愚かな作戦はない。人の命を軽視するのもいい加減しろと思う。彼らが旅立つにあたり、家族や恋人に残した遺書や手紙には、心が潰されそうになる。現在の同じ世代の若者は、彼ら特攻隊についてどのような考えを持つのだろうか。単に、「可哀そう」「自分は嫌だ」ではだめだろう。なぜ、彼らが若い命を捨てなければならなかったのか。ここからあの愚かな戦争を深く掘り下げてほしい。いったん始まった戦争は、終結させることは中々難しい。乾坤一擲などと考え、何とか有利な条件で終結を考えた軍部の帰結の一つが、特攻である。なんと、愚かな。現在も続くウクライナ戦争も新たな局面に入ったし、ガザの犠牲者は4万人に達しようとしている。如何に、戦争の終結が難しいのか、如実に物語っている。

 二つ目は、戦争によるPTSDだ。このことが取り上げられるようになったのは、最近の話だという。夕方6時からのニュースライナーで取り上げられていた。大阪に住む女性は、未だに父の写真をハンカチで覆っている。写真を見てしまうと、戦争から帰ってきて家族に暴力を振るう父親を思い出してしまうのだ。女性の話はすさまじかった。夜中に突然起こされ、軍隊のように起立させられ、暴力を振るう父親。「殺される!」「奴らがやってくる」とわめき散らす父親。やがて、その父も亡くなった。女性は、「子ども心に亡くなって、ほっとした」という。それほどひどい状態だったのだ。後々、父が亡くなったのは自殺だったと知ったという。
 違う方も紹介されていた。孫に「ピースして」とビデオを向けれられているのに、何ら無反応な祖父。戦争から帰ってきて、定職に就くこともできず、何もしなかったという。ある時、軍服姿の父の写真を見たとき、なんと勇ましくきりっとした表情かと思ったと語っていた。戦争から帰ってきた父とは別人だったのだ。ここまで、戦争は人を毀すのかと思う。

 戦後79回目の敗戦の日。よくぞ、79年も日本は戦禍に会わなかったと思う。これが、平和憲法のおかげなのか、はたまた日米安保条約をはじめとする国際的な力関係、国際政治の帰結なのか。議論の分かれるところだろう。一方、日本がアジア太平洋地域で、専制主義国家の最前線にいることは間違いない。少なくとも、平和憲法は日本の憲法であって、専制主義国家の憲法ではない。ようやく、日本人もこの当たり前のことに気づいてきたのではないかと思う。


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