「科学」と「学習」


 1月29日の読売新聞の「就活ON!」にGakkenの編集者の記事が掲載されていた。私が注目したのは、就活ではない。この編集者柿島さんが携わった仕事である。なんと、Gakkenの「科学」の復刊に携わっていたのだ。この学研(私の世代は、Gakkenではなく、学研)の「科学」と「学習」は、とても思い出深い。私も初めて知ったが、「科学」は1963年創刊、「学習」は1946年創刊というから、私が小学校に入った1967年は、まだ「科学」が創刊されてから、4年しか経っていなかった草創期と言える時期なのかもしれない。毎月、「科学」と「学習」が届くのが楽しみだった。もう一つ、楽しみだったのが、小学館の「〇年生」である。心待ちにして、商店街の本屋まで買いに行ったことを覚えている。何が楽しみかというと、「科学」と「〇年生」についている付録なのだ。「〇年生」の付録は、紙ベースで組み立てるものだったが、「科学」の付録は、子どもからすれば本格的な実験が自分でできる付録になっていた。「〇年生」の組み立てる喜び、「科学」の実験できる喜びが、子どもにとっては、何とも言えないのである。この「科学」が復刊していたことに、ついつい子供時代を思い出してしまった。

 今の子どもと違って、私が子どもの時代にはスマホやテレビでできるゲームは存在しない。当然インターネットも無い。あるのは、リアルな遊びである。この付録での学習は、一人で黙々と取り組んだ。家族は誰も教えてくれない。失敗して投げ出しても、また黙々と取り組む。親は、そんな姿をずっと見守ってくれていたのだろう。この付録については、親に励まされたり、怒られたりした記憶はほとんどないのだから。実験がうまくいったり、付録が完成したりすると、うれしくなって親に嬉々として話した。考えてみれば、まさに探究学習をやっていたように思う。親は、小中学生用の百科事典24巻を揃えてくれた。これも何回読み返したかわからない。知識はこの百科事典から得た。そして、事典に書かれていることを、付録で実際に確かめることができた。知らず知らずのうちに、調べる→実践する→話すという探究サイクルの原型のようなものをやっていたように思う。

 ここまで書いてふと思ったのだが、現在小学校から探究学習が盛んに取り組まれているが、もしかすると、子どもはほっといても自らの知的関心を満足するために、探究学習をするのかもしれない。だって、私が子どもの頃は、「探究」の「た」の字も無いのだから。今の子どもの世界には、リアルさが欠けているため、リアルさを実感させるために探究学習があるのかもしれない。


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