「日本の戦争はいかに始まったか」読後感

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 戦前の日本軍の失敗について、なぜあのような太平洋戦争をし、失敗したのかについては、「失敗の本質」という名著がある。私もずいぶん前にこの本を読んで、「なるほど!」と思ったし、「日本人とは何か」ということを考えさせられた。二日ほど前に読み終えた「日本の戦争はいかに始まったか」(新潮選書)は、戦前の日本を戦争の時代と位置づけ、日本がどのようにして、太平洋戦争にまで行きついてしまったかをテーマにしている。なぜ戦前は、戦争の時代か。「日清戦争以降、10年おきに日本は戦争や事変・紛争を起こしているのである」とこの本は指摘する。言われて初めて「そうだった!」と思う。「失敗の本質」よりも少し時間的に長く、視野も広げた日本の戦争論である。是非、多くの人に読んでほしい。

 私が、この本を読んで気になったのは、次の二つの章である。ひとつは、第7章:昭和天皇は戦争にどう関わっていたのか。もう一つは第9章:対米開戦の「引き返し不能点(ポイント・オブ・ノー・リターン)」はいつかである。
 まずは、第7章である。この章を読んで改めて思ったのは、昭和天皇は立憲君主制の君主ではなく、明らかに帝国主義の元首であるという点だ。前に昭和天皇への御進講を取り上げたNHKスペシャルについてブログに書いた。そこでも昭和天皇は、「御下問」という形でかなり詳細に国際情勢や戦況について質問されている。今回のこの本は、おそらくこの「御進講」の記録が発見される前の内容なので、この「御進講」には触れられていないが、戦況を説明する参謀侍従長へ、同じように昭和天皇は「御下問」されていることが示されている。例えば、ミッドウェー海戦の敗北以降、日本はじりじりとアメリカに負け続けるわけであるが、ある時期から昭和天皇は、「決戦すべし、敵に痛撃を加えて有利な立場で停戦交渉ができないのか」と御下問されている。軍部の暴走にやむなく事後承認を強いられてきたという戦後につくられた昭和天皇像とは違う像が浮かび上がってくる。そうすると、立憲君主制の天皇というイメージがどこで作り上げられたか。この点についても「天皇の戦争責任と東京裁判」というところに、詳細に書かれている。そこには、米内光政とGHQのボナ・フェラーズという人物が出てくる。この二人によって、天皇の戦争責任を回避する、すべてを東条英機元首相に帰することで東京裁判に臨むというシナリオができていたことが記されている。考えさせられる内容である。
 この章を担当されたのは、山田 朗氏だが、山田氏によると、昭和が終わり、そして平成が終わって令和の時代になって初めて、昭和天皇に関する記録が世に出るようになったと書かれている。まだ生々しい事実が、「歴史」に昇華するにはこのぐらいの時間がかかったのだろうと改めて思った。

 二つの章について書こうと考えたが、意外にも長くなったので、第9章は次回に書きたいと思う。


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