「教員のリアル」がおもしろい!


  東洋経済education×ICTに連載されている「学校という身近な”異世界”の物語『知られざる教員のリアル』」がおもしろい。4月25日の記事は、
「ゲーム三昧に卑猥な音声入力、『1人1台端末』が生んだ本末転倒なICT教育の現実 教員の本音『優秀校の成功事例は参考にならず』」である。読んでいて、「一人一台端末」の「アルアル」がリポートされていると思った。

 こんな感じだ。一部抜粋する。

「ウェブ上で遊べるゲーム(ヘビゲーム、ピンボールなど)を授業中にやりまくる子、卑猥な言葉を音声入力で検索して騒ぐ子、色の反転や画面回転、拡大縮小といった障害者向けの支援機能で遊び続ける子、デジタルドリルの1番やさしい問題を繰り返してポイントを稼ぐ子、『充電切れた』『パスワード忘れた』で授業が終わってしまう子。これらはすべて最近の授業で起きたことです」
「実は、特別支援学級じゃない通常学級でも同様の事例が起きています。目の前に、ゲームができるPCがあるわけですから、ゲーム機を渡しておいて『ドリルを解きなさい』と言っているようなものです。ましてや、目の前のものを我慢しにくいADHDなどの子が学習に取り組むのは困難です」

というものだ。情報担当主任を任されている小学校の先生の報告だ。私も附属中学校で仕事をしているときに、授業見学をよくやった。後ろからそーっと授業の邪魔にならないように教室に入るのだが、後ろから見ると明らかに端末でゲームをやっている生徒が数人いる。本当は、その子たちほど真剣に授業を聞かなければならないのだが・・・。この記事で報告されていることとほぼ類似した体験をしている。

 教育実践事例では、ほぼうまくいった例しか報告されない。その事例の話を聞いて同じように実践しても同じ成果が得られるとは限らない。そして、圧倒的多数の学校現場では、「うまくいかない例」が日々繰り返されているのだ。その中で、何とか成功しようと先生方は、日々葛藤している。うまくいった例ばかりクローズアップされてしまうと、何か自分の力量が足りないのではないかと自己嫌悪に陥ってしまいそうだ。この「教員のリアル」のように、実際に学校で起こっているリアルな問題を共有できることは、日々、奮闘している教員に「うまくできないのは私だけではないのだ・・・」という安心感を与えてくれるし、うまくいかない中でも「みんな頑張っているんだ!」と気持ちを前向きにしてくれる。誰もが、「スーパー先生」ではないのだ。

 今、中教審では、「デジタル教科書」導入に向けて、躍起になっている。そしてそれを後押しするいわゆる専門家たちもいる。しかし、このような「うまくいっていない例」が注目されることはほとんどない。「一人一台端末」には光の面もあるだろうが、「デジタル教科書」になってしまえば、それこそ指導が大変だ。「さぁ、教科書開いて。」という日常的な授業の呼びかけでも、紙の教科書なら教壇なら見れば、一瞬で子どもが教科書を開いたかどうか確認できる。しかし、端末となれば、いちいち後ろに回るか、机間巡視しなければ確認できないし、一旦全員教科書を開いたとしても、いつゲームのタブを開くかわからない。こういうことを「デジタル教科書」を推進する専門家は理解しているのだろうか。

足元がしっかりした議論をしてほしいものだ。


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