「戦略的反射神経」について

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 田坂広志氏の著書「教養を磨く」を読んでいる。信頼できる友人からの紹介だ。本屋にいくと結構目立つところに陳列されていた。売れ筋の本なのだろう。読んでみると、一つのテーマが4ページで収められているので、とても読みやすい。そして、内容が濃く、深い。とても読み応えのある本である。その中で、長年の経験から「やはりこれだ!」と思わせるところがあった。「『戦略的反射神経』の時代」である。
 「戦略的反射神経」とは、著者の造語である。次のように定義されている。

目の前の現実が予想外の展開をしたとき、状況の変化を瞬時に判断し、速やかに戦略を修正しながら、その新事業を前に進めていく能力の事(p160)

「それは、『論理思考』ではなく『直観判断』の能力であり、『身体感覚』と呼ぶべきものであるが、野球に喩えるならば、『予想外の球が来たとき、体勢を崩しながらも、ヒットに持っていく反射神経』」と著者は、解説している。読んでいて、「これだ!」と思った。VUCAの時代に必要な能力、そしてリーダーに必要な能力は。著者は、野球に喩えているが、私は軍事の指揮官に喩えたい。軍事はまさに、「一寸先は闇」で、当初の目標の達成を、予期せぬ事態によってどのように修正するのか、または修正不可能で撤退を余儀なくされるのか、この判断を瞬時に行わなくてはならない。まさに、「論理的思考」ではなく、「直観判断」が求められる。太平洋戦争時の日本軍指導部のエリートは、教室での軍事には優秀でも、この能力に欠如したために悲惨な結果を招いてしまったのだ。

 さて、著者は言う。「では、どうすれば、この『戦略的反射神経』は身につけることができるのか」と。結論は、「安易な方法は無い」となっているが、大切な覚悟として、「戦略思考は、身体感覚と直感判断を駆使した『最高のアート』である」と述べている。「最高のアート」、心に響いてくる言葉だ。
 ここで、私なりに、この「戦略的反射神経」をどう身につけるかを述べてみたい。それは、修羅場に身を置くことに尽きると言いたい。肌がビリビリ振るえるような、一瞬の過ちで大きく態勢が変わるような、そういう修羅場に身を置くことでこの感覚は養われる。珍しい経験かもしれないが、私は大学生の時代に学生運動を経験している。とうの昔に、全共闘運動も大学紛争も、そして過激派による内ゲバも終わってしまった後の時代だ。長年成立しなかった学生大会も成立させた。その時のリーダーとして、日々修羅場を経験した。肌がピリピリするような感覚は、快感でしかないことを経験した。それ以降、常に自分を修羅場の第一線に置くようにしているし、知らず知らずのうちに修羅場にいる。また、自分で修羅場を作ってしまうようにもなった。そうすることで、まさに直観的に「戦略的反射神経」が身につくようになった。なかなか教育現場にはいないタイプの人間である。そのため、常に異端児扱いされてしまった。違う分野で仕事をした方が良かったかもしれないと、今になって後悔している。例えば、ジャーナリズムに身を置く方が良かったかもしれない。

 最後に、この「戦略的反射神経」は、トレーニングによってある程度身につく可能性がある。しかし、修羅場に身を置くことを嫌がる人種には、絶対と言って身につかないだろう。教師には、この種のタイプの人間が多い。だから、この反射神経も身につかない。結果として、管理職を希望する人間も少ないし、益々減っていくのである。私が、まだ若手の頃は、「海千山千」の強かな先輩たちがいた。しかし、そういうタイプの人は、どんどんいなくなってしまった。私は、そう思う。


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