「光る君へ」


 1月7日に今年の大河ドラマ「光る君へ」がスタートした。今回は、紫式部が主人公である。時代も平安中期、藤原一族の摂関政治が絶頂を迎えた時代だ。摂関政治は日本史で習ったが、とにかく藤原氏が天皇の外戚になることで、権力を一手に握ったということぐらいしか知らない。究極の「コネ政治」というイメージで、あまりというかほとんど良い印象を持っていない。平安中期を舞台にしたもう一つの大河ドラマに平将門を描いた「風と雲と虹と」があった。年代を調べてみると、「光る君へ」の時代の50年ほど前の時代だった。「武家の勃興を意味する将門の乱のほうが先だったんだ・・・」と改めて考えさせられた。というのも、日本の地方ではすでに土地をめぐる一所懸命の武士が力をつけているのに、政治の中心の京都では、コネ政治の権力争い。何とも言えない時代だ。
 さて、「光る君へ」だ。初回は、色々な人物が登場し、紫式部の子ども時代が描かれた。紫式部の本当の名前はわかっておらず、今回のドラマでは、「まひろ」と呼ばれている。下級貴族の家の娘である。もう一つのファミリーが藤原道長の一家。まだ、道長は子どもである。いきなり、権力を得るために兼家の娘(道長の姉)を入内させるところからだ。それにしても、道長の兄、次兄の道兼のキャラには驚かされる。明らかに性格破綻者である。最後には、まひろの母まで殺してしまうのだから。これにはたまげた。いくら、藤原ばかり出てきてわかりづらいとはいえ、これはやり過ぎだろう。時代考証は大丈夫かと思った。というのも、この時代の貴族は、「血」を極端に嫌う。出産でさえ、実家に戻らせて行うほどだ。出産は、出血を伴うために穢れとして扱われるのだ。祝い事ではないのだ。これは余談だが、生まれた子供は、実家で育てられ、父親とは大きくなるまで会わない。だから、人間関係も外戚が濃密になる。こんな結婚形態だから、外戚が力を持つのだろう。
 話を元に戻す。有力貴族、それも右大臣の息子が、殺人を犯すのである。それも自らの手で。これほど忌み嫌われることは無い。この当時、相手に殺意をもてば、貴族社会では呪いをかけることが常套手段である。上級貴族が人を自分の手で殺すなどあり得るのだろうか。こんな道兼も後には、関白まで上り詰めるのだから、今後の展開はどうなっていくのだろうと、他人事ながら心配になる。
 もう一つ、心配と言えば、後に花山天皇となる皇太子である。こちらも明らかにADHDである。こんな描き方でいいのか、誤解は生まれないのかと思ってしまった。

 とにかく、主人公自身が、生年月日も分かっていないのである。いつ亡くなったかもわかっていない謎の女性である。脚本の幅は相当広くなるだろう。第2回以降に、今までの大河とは違う意味で期待して観ていきたい。


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