「ロシアの眼から見た日本」について


 「ロシアの眼から見た日本」(NHK出版新書 亀山陽司著)について、「この本は読むべきだ」と紹介した。もう少し、この本について紹介したいと思う。以下、箇条書きでその理由を紹介する。

(1)ロシアは「無法者」と呼ばれているが、実は彼らは綿密に自らの主張を法に基づいて根拠を示し、突き入る隙を与えない論理構成をして国際社会を生きている。決して、法を無視する無法者ではないので、「無法者」と侮ってはいけない。
(2)国際社会は、ホッブスの主張する「万民の万民に対する闘い」の状態である。国家であれば、一部の権利を国家権力に移譲することにより、政府が国民の権利を守るという社会契約が成り立つ。しかし、国際社会では国際政府が無いため「万国に対する万国の闘争」状態である。
(3)この状態を更に明確にしたのが、哲学者スピノザの「国家論」である。現在は、国際連合が一定の国際政府の役割をしているように見え、秩序が保たれているようにみえるが、実は法廷拘束力を持って秩序が保たれているわけではない。スピノザいわく「多数者の圧力こそが集団内の秩序の源泉になっている」のである。
(4)法的には全ての国が「主権国家」であるが、実際には少数の「主権国家」とその影響下にある「衛星国家」によって国際秩序が成立している。「主権国家間」の均衡が崩れたとき、そこに紛争や戦争が勃発する。例えば、今回のウクライナ戦争もNATOの「東への拡大」とウクライナのNATO加盟表明により、ロシアとNATOの均衡が崩れたために起こった。よって、ロシア側からすれば、あくまでもこの戦争は「侵略」ではなく「自衛」の戦争と論理を構成する。
(5)国際政治には、「主権国家」の「アクター」とその「アクター」が演じるための「シアター」が存在する。その「シアター」とは、中東であったり、東ヨーロッパであったり、アフリカであったり、台湾であったりする。そこに登場する「アクター」は、アメリカ・ロシア・中国、そしてイギリス・フランスといった国際連合安全保障理事国である。彼らこそが自らの意思を持ってふるまうことができるが、その他の国はその「主権国家」の影響を受けた「衛星国家」である。
(6)ここまで言えば明らかのように、日本は「主権国家」ではなくアメリカの影響下にある「衛星国家」であり、ロシアからはそのように見えている。そのため、北方領土問題でも「北方領土を返還するならば、アメリカ軍が駐留する」という理由で、進展しないのである。まさに、ロシアは日本をアメリカの「衛星国」とみている証左である。
(7)幕末から明治維新以降の日本は、まずは日清・日露戦争までは、自らが「シアター化」しないために、「主権国家」(主にロシア、三国干渉ではフランスやドイツがこれに加わる)と綱渡りの外交を行った。辛うじて「主権国家」であるロシアを相手に勝利をした後は、今度は極東を「シアター」に自らが「主権国家たらん」とした。その結果、戦争に敗れ日本は全てを失い、アメリカの「衛星国家」となった。

非常にわかりやすく、日本の国際情勢における立つ位置を示してくれている。少し違和感を持ったのは、極東及び日本も含めて「シアター化」しようとしている(台湾問題や北朝鮮問題)中で、日本はどのようにすれば良いかということである。結論から言えば、亀山氏は、敵基地攻撃能力の向上などの防衛力を向上させることは、「必要」と言いつつも、それのみに頼ることは「軍事的緊張をもたらし、『主権国家』による極東での均衡を崩す可能性があり、危険」としている。そして、重要なのは、日本の「外交力」であると説く。確かにそうだろうとも思うが、「衛星国家」の外交力とは何か?ということまでは私に読み取る力が無かった。どなたか、この点についてご教授いただければ幸いである。


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