朝ドラ「おむすび」を我慢して見ている。年末に結の恋人である翔也に肩の故障がわかり、プロを目指すどころか、野球そのものを諦めざるを得ない事態になってしまった。人生の目標を失った翔也、そして翔也を支える目的を失った結だったが、二人で幸せになることを決意し、結婚するということで年始の朝ドラがスタートした。
今回、このブログで言いたいのは、翔也のような若者はゴロゴロいるということだ。そして、人生の挫折を経験する多くの若者がいるということだ。私が附属中学校の校長を務めていた時にも、スポーツ推薦で進学する生徒が少なからずいた。その選択を否定するつもりはない。しかし、本人も保護者もスポーツ推薦のリスクをどこまで理解しているのかと疑問に思う。翔也の場合もそうだが、わざわざ栃木から野球の強い福岡の高校に進学してきた。甲子園に出場を夢見ていたが果たせず、社会人野球を続けていた中での故障である。午前中仕事を行い、午後野球という生活だ。午前中仕事と言っても電話対応さえまともにできない状況である。野球しかできないのだ。今は、一人前の仕事ができるように、一から仕事を学ぼうとしている。IT技術はほぼなく、同僚にマニュアル本を貸してもらってPC操作を学ぶ状況なのだ。社会人としての能力が不足しているのだ。
学校というのは、社会人を育てるところである。簡単に言えば、社会人というのは自分で飯が食える能力と資質を持った人間を言う。飯を食うためには、心・技・頭を駆使して金を稼がなければならない。スポーツ推薦で進学する生徒は、体を資本に飯を食おうとしているのだろう。しかし、その資本である体を壊してしまえば、何で将来飯を食っていくのか、展望が開けない。こういうリスクを背負っているということを理解すべきだろう。私立高校は、人材の確保のためにスポーツ推薦の合格を生徒・保護者に保障する。しかし、将来の保障までしてくれない。こんな状況で良いのかと思ってしまうのだ。保護者もスポーツ推薦を望む親が少なからずいるが、本当にそれでよいのだろうかと思う。
さらに、スポーツのプロで飯を食っていくことができる人間というのは、限られた人間なのだ。ほんの一握りの人間しか、スポーツで飯を食うことはできない。圧倒的多数の若者は、別の仕事で飯を食わなければならない。そのための準備の10代をスポーツのみに費やしてもいいのだろうかと思う。
予告編では、翔也が何か仕事でへまをしてしまったようなシーンが出てきた。果たして今いる会社で仕事を続けることができるのだろうか。世の中の保護者の方は、スポーツ推薦の怖さを翔也の姿に見てほしいと思う。
コメントを残す