「いいね」はホントに「いいね」か?!


 6月3日の読売新聞、「情報偏食ーゆれる教育現場4⃣」で薬物のオーバードーズの問題が取り上げられていた。薬を過剰に摂取する体験をSNSで投稿すると、「いいね」が付く。更に過剰に飲む体験を投稿すると、さらに「いいね」が増える。「いいね」をもっと増やすために、さらにエスカレートしていくという実情がレポートされていた。10代の若者に見られる承認欲求のゆがんだ形である。承認欲求というのは、誰にでもある欲求で、これ自体には問題は無い。リアルな社会で生活していれば、自分の承認欲求と社会で認知された承認の間で、ズレを修正しながら生きていく。ズレが大きければ、悩みもするだろうが、「なぜ自分が認められないのか?」という自省も生まれるのだろう。若者は、このようにして大人になっていくと思う。
 ところが、バーチャルの世界ではどうも違う。リアルな世界では、多くの人はオーバードーズに「いいね」を言わないが、バーチャルな世界では、「いいね」が想像以上に示される。この現象を、若者は「自分は認められた」と勘違いするのだろう。簡単に、表現できる「いいね」は、便利なようでとても問題をはらんでいる。私もSNSを行っているが、「いいね」は賛同とは捉えていない。「SNSを見た」と捉えている。本来は、「見た」とすべきで、賛同の意味を示す「いいね」は、多くの誤解を生む。SNSで何か腹立たしいことや悲しいことを書き込んだ時に、「いいね」を押されると、「何がいいのか?」と疑問と不信を抱くのが普通だろう。「いいね」でしかつながることができない若者たち(大人もそうなりつつあるが・・・)。もっと、言葉で繋がってほしいと思う。人間は、言葉を操る動物なのだから。


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